満願寺庭園

Manganji Temple Garden, Minamioguni, Kumamoto

鎌倉幕府執権の弟・北条時定により創建され、樹齢千年の杉が国天然記念物にも指定の名刹…御家人・梶原氏により手掛けられた庭園は熊本県指定名勝。

庭園フォトギャラリーGarden Photo Gallery

満願寺庭園について

「立護山 満願寺」(まんがんじ)は鎌倉時代に執権・北条経時/北条時頼の弟、北条時定により創建された高野山真言宗の寺院。鎌倉時代の作庭と伝わる庭園が熊本県指定名勝および史跡。他にも国指定重要文化財『絹本著色伝北条時定像・絹本著色伝北条時宗像』を筆頭に多くの文化財(満願寺仏画、満願寺宝塔、満願寺文書などの熊本県指定重要文化財)を有します。

黒川温泉などと共に「南小国温泉郷」を構成する「満願寺温泉」。その名の由来となっている寺院がこの満願寺で熊本県指定文化財としては唯一の庭園があります。

その歴史について。阿蘇山の北側、小国郷は古くは公家・葉室家の所領でした。鎌倉時代に入り「承久の乱」で北条氏の支配下になると、北条氏一門の中から北条時定が『阿蘇神社』の所領を継ぎ「阿蘇」姓に改称。1274年の最初の元寇(文永の役)に備えるために鎮西奉行/肥前守護として九州に下向しました。

満願寺は執権だった兄・北条経時が亡くなった翌年の1264年(弘長4年)に仏事に際して別の地に創建。そして1274年(文永11年)に敵国降伏祈願のため京都『醍醐寺三宝院』から亀山天皇の皇子・経杲大僧正を招き五坊(別当坊/密教坊/中の坊/北の坊/西の坊)からなる霊場を建立、同名の「満願寺」と名付けました。

北条家は衰退して以降も当地を治めた阿蘇家、豊後国大名・大友家により保護されますが、戦国時代に起こった一揆によって別当坊「多門院」のみ存続。熊本県指定史跡の北条家三代(北条時定・定宗・随時)の墓所とされる石塔群やかつて本堂と呼ばれた地蔵堂は楼門から約100m北側の広場に残ります。(※楼門も歴史を感じさせる見た目ですが、現在のものは昭和初期の1929年に建立。明治時代に焼失するまでは鎌倉時代のものが残されていたそう)

現在の本堂?の東側に広がる池泉庭園が熊本県指定文化財の庭園。池の中央に佇む立石と、池を囲むカクカクしたツツジの刈込が特徴的で、その“心字池”は「室町時代の庭園様式」が現れていると言われます。が、この庭園の原型は実はお寺の創建よりも古く、鎌倉時代の初めにこの地を訪れた鎌倉幕府御家人・梶原氏により作庭されたと伝わります。

「巻狩」の様式を取得すべく阿蘇を訪れた梶原氏(梶原景季?)が帰路に立ち寄って作庭――という謂れはお隣・日田市中津江村の大分県指定文化財庭園『伝来寺庭園』と同じ。お互い時代と改修を経て現在ではぱっと見では異なるデザイン性を持つ庭園になっていますが、根底では姉妹庭園的な存在。北条随時が京都からツツジを移植したとも言われます。

また満願寺の前に流れ志津川は「志津川のオキチモズク発生地」として国指定天然記念物に、地蔵堂の先の山中にある金比羅杉も北条時定が植えて以来樹齢1000年と伝わり国指定天然記念物となっています。南小国町を訪れた際には「竹の熊の大ケヤキ」と共にチェックしてみて。

(2024年4月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

JR豊肥本線 阿蘇駅・熊本空港より路線バス/高速バス「満願寺入口」バス停下車 徒歩8分

〒869-2402 熊本県阿蘇郡南小国町満願寺2292 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は2,000以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
PICK UP / COLUMN
最新の庭園情報は約10万人がフォローする
【おにわさん】のSNSから。