舞鶴荘(旧高取家南邸)庭園

Maizuruso Garden, Karatsu, Saga

国指定重要文化財『旧高取邸』の炭鉱王・高取伊好が建立したもう一つの近代和風建築は、今後地域の方の交流の場として活用。本邸よりも広い池泉回遊式庭園も。

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舞鶴荘(旧高取家住宅南邸)庭園について

「舞鶴荘」(まいづるそう)は佐賀県唐津市に残る近代和風建築。“肥前の炭鉱王”と呼ばれた実業家・高取伊好が大正時代に建立したもので、かつての庭園も残ります。国指定重要文化財『旧高取邸』から道を挟んで南側に隣接。現在は九州電力が所有し、地域のイベントの場として活用されています。

庭園は各種イベント開催時や、管理人さんが居るタイミングならば自由に見学可能。2025年に初めて見学したので紹介。

江戸時代には唐津藩の城下町。幕末~近代に掛けては近代日本を代表する建築家・辰野金吾を輩出、多くのレトロな洋風建築も残る町・唐津。その唐津の中で最も文化財的価値が高い建築は、唐津城でもなく辰野金吾の銀行建築でもなく国指定重要文化財の『旧高取邸』。

佐賀県内の「杵島炭鉱」「芳谷炭鉱」「相知炭鉱」を経営した炭鉱経営者・高取伊好。独立以前には長崎の「高島炭鉱」(『軍艦島』と共に世界遺産「明治日本の産業革命遺産」に含まれる)を担当。大隈重信三菱財閥岩崎弥太郎からも厚遇され成功を収めます。

そんな氏が石炭の積出港だった唐津を選んで明治時代後期に建立した自邸が国指定重要文化財『旧高取邸』。

で。そんなお屋敷のすぐ南側にもう一つ長~い石塀(RC造?)を持つお屋敷があります。それがこの「舞鶴荘」(旧高取家住宅南邸)。こちらも高取伊好によって建立されたお屋敷で、氏が娘婿の高取盛夫妻のために1922年(大正11年)頃に建立。現在の約6,100平方メートルという敷地(庭園)は現『旧高取邸』よりも広い。なお、この邸宅で暮らした高取盛も伊好の跡を継ぐ形で杵島炭鉱を経営、佐賀県内の弓道の発展にも寄与した人物。

昭和時代の戦後に九州電力の所有となり、保養所/迎賓館「舞鶴荘」として長年活用されていましたが、2014年に閉館。2021年から地域貢献の一環として、地域の方が無料で屋外スペース/庭園を利用可能(※建物内は立入不可)となり、マルシェや飲食イベントがときおり開催。また海からすぐ傍という立地を活かして「SUP」の活動拠点となっています。

唐津城外堀に沿った長~い石塀を入ってすぐ振り返ると、『唐津城』の天守閣が視界に飛び込んでくるロケーション。建物の中には入れませんが、唐破風屋根の玄関とそれに並ぶもう一つの玄関がお屋敷の格を感じさせます(複数の玄関が全面に並ぶのは本邸と同じ)。

庭園について。前述の通り広さで言えば本邸よりも広い!
建物から見て南側の手前に芝生広場が広がり、中央部に池泉(心字池/現在は枯池)、その東側に松林。そして西側の建物の前には唯一のモミジが植わっており、その足元は苔むした空間――と茶庭の様な趣。そんな様々な表情を見せるお庭。

その特徴は庭園東側にある松林。本邸の庭園にもマツが多く植わっていますが、それよりも密度が濃く『虹の松原』のように樹高も高い。
実はこの庭園、東側の高台に位置する唐津城の天守閣を借景(遠景)として、その中景として松林、近景として心字池…といった位置関係になっているそう(1階の平面部からはその借景は味わえないので、2階部分が主な視点場!)。また心字池の護岸には亀甲をイメージした石畳がいくつかあるのですが、この池泉が「亀」、通称「舞鶴城」の唐津城を「鶴」と見立てた“鶴亀の庭”でもあるのだとか。

心字池の傍らにある男女の「高砂像」など、高取翁の趣味を感じさせるいくつかの石造物も“炭鉱王の庭園”としての面影が感じられる――『旧高取邸』の見学後は舞鶴荘もぜひチェックしてみて。

(2025年11月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

JR唐津線・筑肥線 唐津駅より徒歩15分
唐津駅より路線バス「南城内」バス停下車 徒歩3分

〒847-0015 佐賀県唐津市北城内5-40 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は2,000以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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