三河の豪農屋敷に茶道尾州久田流・久田栄甫が作庭した二重露地の茶庭と数寄屋建築。愛知県指定文化財。
旧糟谷邸(旧糟谷縫右衛門住宅)について
「旧糟谷邸」(きゅうかすやてい)は江戸時代から三河・吉良吉田の大地主をつとめた豪農・豪商の屋敷で、「糟谷縫右衛門家住宅」の名で愛知県指定文化財。茶道久田流の茶室へと至る回遊式庭園、露地庭があります。
また現在は敷地内に西尾出身の大正~昭和の作家/小説家・尾崎士郎に関する品々が展示された『尾崎士郎記念館』も。東京の現・大田区山王にあった自邸から移築された書斎の様子を見ることもできます。
2020年12月、約6年半ぶりに訪れた“三河の小京都”西尾の庭園巡り…吉良吉田に訪れるのは更にその前、13~14年ぶり!当時は『Rock on the Rock』という野外フェスを目的に訪れました。現在は西尾市の一部ですが当時は吉良町だったなあ。(なお『華蔵寺庭園』も元・吉良町。)
鎌倉時代、足利家(吉良家)の家臣として三河に移り住んだという粕谷家。江戸時代には大地主としてだけでなく三河木綿問屋などの小売・卸商として財を成し、当地をおさめた大喜多藩主・大河内松平家の御用達に。
明治時代には当地の代表的実業家として西尾銀行の頭取をつとめたり、名鉄西尾線の前身・西尾鉄道に出資するなど吉良の発展に尽力されました。現在は西尾市立吉良図書館も隣接…言い換えると「粕谷家の所有していた広大な敷地に図書館を造営した」といった形だったのかも。
主屋・長屋門・土蔵などが残るこのお屋敷、主屋は1763年(宝暦13年)の祈祷札が残り、長屋門は鬼瓦に1744年(延享元年)の銘文が確認されている、いずれも江戸時代中期の建築。長屋門は大喜多藩の小牧陣屋から移築されたものと伝わります。
そして施設の案内図に“数寄屋部”と書かれている部分および庭園は表千家の流れを汲む尾州久田流・久田栄甫の設計により造営されました。“久田流”が登場するのは兵庫・赤穂の国指定名勝『田淵氏庭園』以来で。赤穂と吉良で登場するとはなんの因果か。久田栄甫の2代前が久田宗参。
かつては(現在の)庭の中央に主屋の大座敷があったそうで、その周辺を取り囲んだような飛び石・園路を通って数寄屋部・茶室へといたる露地庭を味わうことができます。
ちなみに江戸時代中期の絵図には砂が敷かれた遠望庭園が描かれているそうで、1838年(天保9年)の段階で一部が茶庭となり、幕末~明治にかけて久田栄甫による二重露地の茶庭が作庭されました。
一つ変わっているのが、庭園の入口(建物の外側にある)で、靴からスリッパに履き替える点。靴の裏に付着している雑菌や種子が庭に入らないように――という配慮だと思うのですが、これは他の庭園にもあってもいい仕組みかもなあ、と思った。『近年の猛暑で、苔がだいぶ薄くなってしまった』とお聞きしたのですが、以前はより苔がきれいだったのならば余計に庭に対する配慮はあっても良いなと…庭園好きじゃなければ面倒くさいかもしれないけど…。
西尾では『旧近衛邸』に負けず劣らずの歴史的な茶室であり、最も歴史ある茶庭――“豪農の館を見学する”といった要素が強くて『尚古荘』や『伝想庵』のような施設利用はされていないようだけど、なんかこう、“茶会で使っていく”ことで“庭園が本来の良さを取り戻す”こともあるかもしれないななんて思う。また季節変えて訪れたい場所。
(2020年12月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)