京都を代表するモダニズム建築、設計は建築家・大谷幸夫。庭園には京都を代表する数寄屋大工・中村外二と庭師・川崎幸次郎による茶室“宝松庵”も。
国立京都国際会館“幸ヶ池庭園”“宝松庵庭園”について
「国立京都国際会館」(きょうとこくさいかいかん)は京都・洛北の宝が池に1966年(昭和41年)に開館した国際会議場。そのモダニズム建築及び日本庭園の設計は昭和の建築家・大谷幸夫が手掛け、《DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築》や建設省(国土交通省)による公共建築百選にも選定されています。
建物内及び日本庭園は会議・イベントや施設見学会への参加で見学可能ですが、茶室“宝松庵”は通常非公開。
その存在は認識しつつも観光では訪れる機会がなかった国立京都国際会館(ICC Kyoto)。例年春・秋に行われている茶会『宝松庵茶会』と、また別のタイミングで施設見学会で訪れました。
まずその特徴的な建築の話から。設計を手がけた大谷幸夫さんは若い頃は丹下健三さんの下で学び、広島『平和記念公園』にも携わられた方。
日本の国としては初の「コンペ」で最優秀作品賞に選ばれた京都国際会館は――宇宙船や戦艦のような外観であり、内装も当時の“近未来的”なデザインが様々な意匠から見られる。京都という伝統的なものが重んじられる土地において、これだけ挑戦的なデザインがに選ばれたというのがすごく面白い。
ただ決して“伝統的なもの”が無視されている訳では全くない。この台形を組合せた外観のデザインは“茅葺屋根”や“合掌造り”を現代風に表現したもの。庭園を回遊しながらその建物を見ると、場面場面で比叡山が借景にバチッとハマる。この建築は決して自然の中に“異様”なものを配したのではなく、当時“この山に溶け込む”ように設計されたんだ、ということがわかります。それを表現した大谷幸夫さんもスゴいけど、それを読み取った側もスゴい。選ぶ側も挑戦的だった時代。
また建物内部は建築の意匠のみならず、インテリアもモダン。担当したのは近代日本の世界的インテリアデザイナー・剣持勇。絨毯の色・模様も“枯山水の砂紋”や“苔庭”を表現したものとなっているそう。
館内には絵画やステンドグラス、レリーフなど様々な美術品が見られ、これらは当時この建築のために結成された美術家集団、A・A・A(Association des Artistes pour l’Architecture)によるもの。日本庭園内にも細川宗英、霜田大次郎さんの彫刻作品が配されています。あとエントランスはザハ・ハディッド建築『香港理工大学』を思い出した(ザハの方が後だけど)。
その日本庭園は“幸ヶ池”を中心とした池泉回遊式庭園――建築との組合せから“現代日本庭園”といった感じではありますが、その植栽や(先に書いた通り)周囲の山々を借景に取り込む点などあくまで“日本庭園”をこの時代らしく追求したもの。今回の季節にはちょうど山々の紅葉も美しかった!
更には建築見学の際に建物の上層から眺めた時には、隣接する宝が池公園と一体となっていて――より大きな池泉式庭園という風にも捉えられる。
そしてその池の畔にある茶室『宝松庵』は京都国際会館の初代理事長・松下幸之助から寄贈されたもの。宝ヶ池と松下幸之助の頭文字から名付けられたもので、その施工は京都の数寄屋建築の名工・中村外二、茶庭は松下真々庵の庭園も手掛けたとされる川崎幸次郎によるもの。
こちらは正に紅葉が見頃な中でのお茶会でした。そのような由緒ある場所で初のお茶会を体験できたことはすごく嬉しい。
また参加した建築見学会には海外からの若い建築学生2人組もいたのですが――話がぶっ飛ぶけど高松にある丹下健三建築の『香川県立体育館』。現在取り壊しの可能性があるモダニズム建築。夏に観に行ったんだけど――たまたま同タイミングで写真を撮っていたのは自分と、若い欧米系の男女だった。
日本庭園もそうだけど、日本人自身が知って、守らなければいけない“魅力的なもの”ってまだまだあるし、“庭屋一如”という概念自体は和風建築ばかりに当てはまるものではないはず――自分が近代建築・モダニズム建築の庭に惹かれるのは、まだそこが掴みきれてないからなのだと思う。
(2019年11月・12月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)