大名茶人・古田織部により創建された禅寺“織部寺”に残る、京都の知られざる苔の美しい庭園。(通常非公開)
興聖寺庭園について
【庭園は通常非公開/京の冬の旅2022で特別公開】
「円通山 興聖寺」(こうしょうじ)は京都・西陣にある臨済宗興聖寺派の禅寺。大名茶人・古田織部(古田重然)ゆかりの寺院で“織部寺”としても知られます。
非観光寺院なので普段は拝観はやっておられないですが、2022年の京の冬の旅で特別公開!昼間の写真はその際の写真で、ライトアップの写真は2021年に行われた現代アートイベント『ニュイ・ブランシュKYOTO 2021』の企画で訪れた時のもの。
ニュイ・ブランシュKYOTOではフランス人アーティスト:セバスチャン・レゼー(Sebastien Raizer)、サミュエル・アンドレ(Samuel Andre)によるライブ・パフォーマンス《黒い山のコウモリの洞窟》の公演が開催。その際にも許可のうえ庭園の写真も撮らせていただきました。
桃山時代から江戸時代へと移り変わる最中の1603年(慶長8年)、古田織部が虚応円耳禅師を開山として創建。(…と京都市の立看板やお寺の公式サイトでは説明されているけれど、虚応円耳は元々このエリアの日蓮宗の僧だった、織部との関係を示す記録はない、と否定されている。)
ただ、織部を含む古田家の墓所があるのは事実、そして江戸時代には後陽成上皇や後水尾天皇の勅願寺となり繁栄しました。
1701年(元禄14年)より日蓮宗から禅宗へと改宗。現在残る伽藍は、本堂(元の仏殿)が1689年(元禄2年)の建立。その他の建造物は1788年の天明の大火で焼失した後に再建されたもの。
本堂には戦国武将/大名・藤堂高虎の寄進と伝わる達磨像が安置されているほか、曾我蕭白『寒山拾得図』などの国指定重要文化財を所蔵。
方丈の南と西に江戸時代に作庭されたとされる庭園が広がります。南には一面苔のお庭、そして西側には苔むした築山が配された池泉鑑賞式庭園。
そして方丈の奥へと進む途中には深く掘られた枯池の庭園と、茶室“雲了庵”前に枯流れのある枯山水庭園があります。この茶室ともう一つの“青松庵”はそれぞれ織部やその夫人の院号から名付けられたもの。
宇治にある京都府指定名勝の『興聖寺庭園』を先に紹介していて、京都市の興聖寺は通常非公開ということで「一体どんなお寺なんだろう」と思っていたけれど――こんな苔の美しい庭園があったのか!と驚きと感動。いつか座禅会にも参加してみたいなあ。(※毎週早朝にも坐禅会をやっておられるので、それに行けばかなう…。今回出演した二人も興聖寺で修行した体験を作品に昇華された)
(2021年10月、2022年3月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)