高野山真言宗寺院ながら法然上人もまつられている、法然と平家物語にも登場する熊谷直実ゆかりの寺院。
熊谷寺庭園について
「熊谷寺」(くまがいじ)は高野山奥の院の表参道入口付近にある宿坊。その名の通り、平安時代の武将・熊谷直実ゆかりの寺院。
創建は平安時代はじめの837年。時は流れて1184年、源平合戦の一ノ谷の戦いで源氏方の熊谷直実は少年だった平敦盛を討ちました。
戦いの後そのことについて思い悩んだ熊谷直実は出家して法然上人に仕えます。ちなみに、氏が鎧をあらった池泉が法然の開いた浄土宗の大本山・京都『金戒光明寺』に庭園として残っています。
そして熊谷直実は蓮生と名を改めて修行し、父の菩提寺でもあった高野山のこの寺院にて平敦盛を供養しました。その供養後も蓮生は高野山に残り、後年そのエピソードを知った鎌倉幕府三代目将軍・源実朝により“智識院”から“熊谷寺”と改められ今日に至ります。
その縁あって、法然上人や親鸞上人、関白・九条兼実もこの寺院を訪れ、高野山真言宗の寺院ながらお寺の入口にある圓光堂では法然上人もまつられており法然上人二十五霊場の番外札所でもあるそう。
近代となり、明治21年の高野山の大火の際に伽藍を焼失。現在の伽藍はそれ意向に再建されたもの。宿泊すれば奥庭もあるそうですが、今回は前庭の池泉式庭園の写真のみ紹介しています。
(2019年8月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)