親鸞聖人や松下幸之助ゆかりの宿坊に、重森三玲が作庭した3つの庭園。氏の初期の作品として国登録名勝。
西禅院庭園について
【要事前問合せ】
「西禅院」(さいぜんいん)は高野山真言宗の別格本山の寺院であり、壇上伽藍にも近い高野山の宿坊。重森三玲により作庭された庭園は国の登録記念物(名勝地関係)となっています。2015年に高野山開創1200年の特別公開で初めて拝観し、今回5年ぶりに拝観。(*宿泊客がいらっしゃる時は拝観できないので事前問合せ推奨。)
西禅院は平安時代に弘法大師空海が高野山を開創した直後に明寂阿闍梨によって創建。その後鎌倉時代の1235年頃には浄土真宗の祖・親鸞聖人が63歳の頃に滞在し修行され、親鸞自身によって造られた親鸞像も残るそう。
また現代にはパナソニック創業者・松下幸之助に好まれたそうで、氏が長期滞在した茶室が冒頭の枯山水庭園の右手側に残っています。
その枯山水庭園を含め、重森三玲は戦後の1951年~1953年(昭和26~28年)の間に3つの庭園を手掛けました。現存する重森三玲の庭園の中でも結構初期の部類で、同年に手掛けているものでいうと氏の地元の『小倉邸庭園“曲嶌庭”』、それ以前で近畿のものでいうと『東福寺方丈庭園』や『西山氏庭園』あたり。
前回は冒頭の枯山水庭園のみでしたが、今回はご厚意により“普段見ていただくことのない”残り2つの庭園も紹介。
■西禅院III(1・3~10枚目)
冒頭に紹介しているけど3つのうちで最も新しい庭園。前回と比べて苔がきれいな青になっていた!(種類が変わった?)
苔の島々に浮かぶ紀州の青石の立石に氏の世界観が表現された枯山水庭園であると同時に、松下幸之助が滞在した茶室の露地庭としての側面も。その茶室へと至る待合や飛び石周辺の敷石・延段もかっこよい。
■西禅院II(11~14枚目)
お堂に近接する岩盤の斜面を活かした、枯流れの庭園。この岩盤は隣接する『正智院』(同じく国登録名勝の重森三玲庭園があります)と同一の岩盤であり、この“明神岩”は磐座でもあるため信仰の対象でもある。ここも敷石(延段)がかっこよく、両サイドの立石にも注目。
■西禅院I(15~22枚目)
最後に紹介するけど西禅院で最初に手掛けられたのはこの庭園で、元あった池泉庭園を改修し作庭した庭園。奥に鯉魚石が少し離れたところに配されている珍しい形の龍門瀑があり、そこから細長い池に沿って多くの石が配されていて、面積は小さいながら迫力を感じられる池泉庭園になっています。池では睡蓮、またサツキの花も咲いている時期で、3つの中で最も季節が感じられるお庭。
※ご都合があえば、今回のように宿泊せずにも見せていただけますが、インバウンド情勢の変化により現在は比較的リーズナブルな金額で宿泊も可能なので、是非宿泊もご検討ください。自分も次は泊まりに訪れたい!
(2015年5月、2020年6月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)