世界遺産・高野山の尾張徳川家/大友氏などの大名や皇族・伏見宮家ゆかりの宿坊に重森三玲が作庭した苔の美しい枯山水庭園。狩野探幽の襖絵も。
本覚院庭園について
「本覺院」(ほんがくいん)は高野山真言宗の別格本山の寺院・宿坊。京都『東福寺方丈庭園』が有名な昭和の作庭家・重森三玲による石庭“不二の庭”をはじめ、“蓬莱の庭”“積翠観”“北翠庭”“池泉庭”と5つの庭園があります。
世界遺産・高野山には重森三玲の最高傑作のひとつ『福智院庭園』のほか、国の登録記念物(名勝地)の文化財庭園『正智院庭園』、『西禅院庭園』、『桜池院庭園』等が残りますが、まだ見たことがなかったのが本覚院庭園。2021年10月に約1年ぶりに高野山を訪れ初めて宿泊しました。
高野山ケーブル・高野山駅からの路線バスを「高野警察前」で降りてすぐ。その歴史は平安時代末期、1190年(建久元年)に『平家物語』にも登場する当時の有名歌人・待宵の小侍従の請願により高野山に登った行空上人の創建と伝わります。またこの場所はそこから遡ること約400年前に高野山開祖・弘法大師空海が地蔵菩薩を安置した場所でもありました。
以来、皇族の伏見宮家の御菩薩所になったことをはじめ、鎌倉時代の武将で後の戦国武将・大友氏の初代・大友能直(大友一法師丸)以来の大友家19代、江戸時代には徳川御三家筆頭・尾張徳川家、白杵藩主・稲葉家、伊予大洲城主・加藤家、岸和田城主・岡部家などからも信仰を集めました。御本尊は智証大師・円珍の作と伝わる不動明王。
当初は“講坊”と呼ばれた本覚院が現在の寺名になったのは江戸時代中期の元禄年間。少し遡って江戸時代初期には狩野派・狩野探幽が滞在し襖絵・天井絵を残し、宿泊中はそれを鑑賞することも。
山裾に築かれた本覚院の本堂の北庭として1953年(昭和28年)に作庭されたのが“石庭不二の庭”。この年は代表作のひとつ『岸和田城庭園“八陣の庭”』を作庭した年でもある。
一面の苔庭の中にトレードマークとも言える青石の立石による三尊石組が配された庭園で、廊下・通路に沿って270度からの視点を楽しめる。傾斜がある元々の地をそのまま活かし、通路を歩きながら視点が上下することを意識して作庭された枯山水庭園。また西側に建つ宿坊の廊下からは東側の山を借景にした眺望も!
“不二の庭”の先には同じく苔むした枯山水庭園“蓬莱の庭”があります。でも作風は重森三玲っぽくはないかな…?
その他にも客室から眺められる枯山水庭園“積翠観”“連翠観”は重森三玲っぽくないのだけれど、中庭の池泉庭は少し「ぽさ」があるように感じられた。護岸石組や丸っこい沢飛び石とか…。
庭園内には書院造りの離れ・茶室『空点房』が建ちます。見学できなかったけど特別な方向けの客室かな…。朝のお勤めの後には部屋食の精進料理も。昼食のみの予約も可能とのことだけど、ぜひ宿坊での一夜も体験してみて。
(2021年10月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)