近代の長野を代表する実業家“製糸王”越寿三郎ゆかりの国登録有形文化財の近代和風住宅に残る枯山水庭園。
旧越家住宅(山丸一番館)について
「旧越家住宅」(きゅうこしけじゅうたく)は近代に製糸で栄えた須坂を代表する実業家で“製糸王”と呼ばれた越寿三郎ゆかりの近代和風住宅。明治時代に建てられた主屋・北蔵・南蔵が国登録有形文化財となっています。
2019年のGWに初めて須坂市に行きました。目的はこちらより更に大きな豪商の邸宅『田中本家博物館』だったのですが、須坂の街ではいくつかこのような歴史的建造物が公開されているのでそちらも見学。
先に紹介した『旧小田切家住宅』からすぐ近くにある旧越家。越寿三郎は元は小田切家に生まれ、そののち越家に養子に入りました。家は変われど携わった業態は同じ製糸業。渋沢栄一や大倉財閥・大倉喜八郎とも交流を深め、“山丸組”を設立。須坂市のみならず埼玉の大宮や愛知県にも工場を設立し最盛期には従業員数8,000名。昭和初期には長野県の最多納税者となる程の人物でした。
その後世界恐慌のあおりで倒産に追い込まれるものの、事業の成功で得た財は電話など街のインフラや高校の創立などに投資。須坂の街の近代化に貢献したことから臥竜公園に顕彰碑が立ちます。
この邸宅は越寿三郎が息子・泰蔵の結婚にあたり、佐藤家の建物を購入したもの。当時一帯は山丸組へ勤務する方が集中して暮らしていたそうで、“山丸小路”という道の名前も。
元は明治時代中期に建てられた建築で、客間の障子ガラスや襖絵がおしゃれな近代和風建築。平成年代に越家より須坂市に寄贈され、現在は地元の「旧越家ふれあいクラブ」によって学習・交流施設として公開されています。2007年には経済産業省の「近代化産業遺産」にも認定。
建物の裏に和風庭園が残されていて、鶴亀が向かい合っているような石組とマツの中高木がその庭園の歴史を感じさせます。
そして表にも立派な五葉松や藤棚、あと変わった石灯籠の姿があるのですが、越家が購入した当時には敷地南側に池泉回遊式庭園があったそう。無造作に置かれている一部の大きな石は、元はそちらの庭園で使われていたものなのかもなあ。地味だけどこうした100年以上の歴史ある庭園が残されているのは嬉しい!
(2019年5月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
長野電鉄長野線 須坂駅より徒歩10分強(※レンタサイクルは駅から徒歩7分の場所にある観光案内センターにあり)
須坂駅より路線バス「春木町」バス停下車 徒歩1分
〒382-0074 長野県須坂市須坂春木町435-2 MAP