
皇族・伏見宮家や岩倉家ゆかりの寺院に重森三玲が作庭した枯山水庭園“心月庭”“心和の庭”。絵馬“浮かれ猫”の伝説も。
光清寺庭園について
【非観光寺院/8月16日のみ特別公開】
「心和山 光清寺」(こうせいじ)は江戸時代初期の1669年(寛文9年)に伏見宮貞致親王が生母・慈眼院殿心和光清尼公のために創建された寺院。境内には現代に重森三玲が作庭した枯山水庭園があり、お寺の近くにはかつて平安京大内裏に含まれていたことを示す“宴の松原”の碑も建ちます。
拝観不可の非公開寺院と認識していたのですが、近くを通りかかったので門前を通ってみたら、勝手門が開いていて・そして開門時間が記されており。
と言っても檀家さん向けに門が開いているだけのこともあるので、通りがかったお寺の方に入場して問題ないかお聞きした上で入場。門が開いている時間なら問題ないですよ、とのこと。奥の庭園も「隙間からのぞくだけなら」かまわないとのことだったので鑑賞させていただきました。それでも一般向けの拝観はしていない、とのことだったので、祈りの気持ちをもって。
*その後、8月のお盆時期のみ庭園が特別公開されるとお聞きして再訪。2020年は8月16日のみ特別公開されました。
創建から割とすぐ、1706年(宝永3年)で火事で焼失。その後、伏見宮貞致親王の子・伏見宮邦永親王により再建され、当初の“声実庵”という名から現在の寺名に改められました。現在では臨済宗建仁寺派。そんな伏見宮家との縁から宮準門跡という寺格をほこり、境内にある弁天堂(鎮守玉照神社)は伏見宮邸から遷座されたもの。また岩倉具視を輩出した公家・岩倉家の菩提寺でもあり、岩倉恒具などの墓所も。
鑑賞可能な重森三玲の庭園は玄関前の“心月庭”と、本堂前の石庭“心和の庭”。作庭年代は1966年(昭和41年)、氏が70歳の時。作庭年代が近いもので言うと丹波篠山の『住吉神社 住之江の庭』。翌年にはこの光清寺で「林泉月見会協賛釜」という茶会を開いたそう。
“心月庭”のような高めの盛り土をモルタルで固めた庭園表現、本では見たことあったし存在は認識していたけど、実物見るのは初めてかも。
本堂前の“心和の庭”は横から眺めたカットのみにはなりますが、白砂の中に苔の築山と阿波の青石が配された、ザ・重森三玲庭園。別で“心字庭”とも書かれている通り心の字を表した枯山水庭園なのだけど、それを念頭におくと奥の竹垣も“心”をデフォルメして表したものなのかな?と感じる。
そしてGoogleマップの航空写真で見ると、本当に心の字になってるの…!いつか正面からも眺めてみたいなあ。
なお弁天堂の片側に猫の絵馬の写真が掲げられているのですが、光清寺の絵馬“浮かれ猫”の伝説は京都の猫にまつわる伝説でも知られたものだそう。
江戸時代、近くの遊里(十七軒はちょい離れてるけど、更に南までポツポツとそういった茶屋が続いていたとか)から三味線の音が聴こえてくると、描かれている絵馬から猫が浮かび上がり、女性の姿に化けて踊り始めたと言います。それを不快に思った当時の住職は出られないように法力で(または金網で。随分印象が違うぞw)封じ込めたそうですが、絵馬の中の猫が住職の夢に現れ、懇願したことからその封印を再度解いたとか。
そのエピソードから“利益あり”と伝わり、三味線奏者や祇園・島原の名芸妓によって信仰されたそう。庭園目当てだとしても、お堂にお賽銭お納めして祈ればいいことあるかも。
(2020年3月・8月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
JR嵯峨野線・京都市営地下鉄東西線 二条駅より徒歩15分強
最寄りバス停は「千本出水」バス停 徒歩3分
〒602-8359 京都府京都市上京区出水通六軒町西入七番町 MAP