紅葉の名所“湖東三山”の中でも“近江路一”と称される庭園は、桃山時代〜江戸期作庭の異なる3つの庭。国指定名勝。
金剛輪寺明壽院庭園について
「松峯山 金剛輪寺」(こんごうりんじ)は紅葉の名所として有名な滋賀県の“湖東三山”の一つに挙げられる寺院。その本坊にあたる「明壽院」(みょうじゅいん)の庭園は“近江路一”とも称される国指定名勝庭園。
その庭園は桃山時代~江戸時代中期にかけて造られた池泉鑑賞式の庭園が3つ連なっていて――数ある文化財庭園の中でも、三時代の庭園が連続して見られる場所は貴重。庭園そのものももちろん素晴らしく初めて訪れた2015年はその年行った200箇所ぐらいの中で1位!に挙げた名園。(僭越ながら当サイトの『名庭園10選』にも選んでいます。)
で、2020年11月に約4年ぶりに拝観。今回は東京に住んでいた頃憧れていた紅葉期の湖東三山!前回は紅葉が終わった12月中旬だったので人もまばらだったけど…今回はさすがにこれまで訪れた2回と比べてとても人が多かった。
歴史について。奈良時代の741年(天平13年)に聖武天皇の勅願によって行基が開山。秘仏の御本尊は行基の作と伝わります。平安時代のはじめ、嘉承年間の850年に比叡山延暦寺から慈覚大師円仁が訪れ、お寺を再興されたことをきっかけに天台宗の寺院に。平安時代には源義経が木曽義仲追討前に必勝祈願に訪れたというエピソードも。
平安時代~鎌倉時代にかけて栄え、国宝の本堂“大悲閣”および国指定重要文化財の三重塔が鎌倉時代の建立とされるほか、平安時代~鎌倉時代のものとされる仏像(だいたい国重文)を数多く所蔵。
国宝の本堂大悲閣は八代目執権・北条時宗が元寇の役の戦勝を記念して、近江国守護・佐々木頼綱(六角頼綱)に命じ建立されたものとされ、金具には1288年(弘安11年)の銘が残るそう。
で、例によって戦国時代には織田信長が天台宗寺院を焼き討ちにするわけですが…金剛輪寺は(同じ湖東三山の『西明寺』と比べても)入口の総門から本堂・三重塔までの参道が、長ーーーい上り坂。見落としたんじゃないか説も。なお同じく焼失を免れた室町時代建立の二天門も国指定重要文化財。
江戸時代に入り彦根藩主・井伊直孝と天台宗の天海僧正により再度復興するも最盛期には参道の両側には百以上あったという僧坊も江戸期を経て数分の一の規模に。そして明治時代に入り上知令で完全に衰退、残ったのは本坊の「明寿院」のみとなりました。明寿院の建築は昭和中期に一度焼失があり、現在のは1978年に再建されたもの。
そして庭園について。広大な境内地の序盤にある明寿院庭園。入口から近い順に、桃山時代に作庭された“石楠花の庭”⇒江戸時代初期に作庭された主庭⇒江戸時代中期の庭…と続きます。
主庭こそ書院からの眺めが意図された池泉鑑賞式庭園ですが、この3つの庭園が一つの心字池として繋がっていて、時代の違う庭園をまわる回遊式庭園といった感じの方が現在は強くなっている。
主庭~江戸中期の庭は噂に違わず“血染めもみじ”と称される紅葉がお見事。でもそれ以外の季節にも花々が楽しめる庭園で、桃山時代の庭園はその名の通り春にはシャクナゲ(やカキツバタ)が、そして主庭は初夏にサツキの刈込が花を咲かせ彩ります。
サツキの開花+青もみじの姿もまた美しいんだろうなー。主庭の上部にある四阿や、そして池にせり出す形で江戸時代後期の天保年間に建てられた茶室“水雲閣”はまさに特等席。普段入ることはできませんが…公開する機会がもしあったらあの場所からこの庭園眺めてみたい。
国宝の本堂や三重塔までは前述の通り上り坂の参道が長ーーーく続くのですが(1kmぐらいある?)、その参道脇で見られる、かざぐるまを抱えた“千体地蔵”の雰囲気がとても良いので、風景を味わいながらぜひ本堂まで。
(2015年3月、2016年12月、2020年11月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
JR琵琶湖線 稲枝駅・近江鉄道 豊郷駅、愛知川駅から予約型乗合タクシー「愛のりタクシーあいしょう」で「金剛輪寺停留所」下車
最寄駅は豊郷駅。豊郷町観光協会案内所でレンタサイクルして約7km
〒529-1202 滋賀県愛知郡愛荘町松尾寺874 MAP