北村美術館 四君子苑Kitamura Museum Shikunshien Garden, Kyoto

吉田五十八・北村捨次郎・佐野越守の手掛けた、数寄屋建築×モダニズム建築×庭園×借景×美術品の総合芸術。

庭園ギャラリーGarden Photo Gallery

北村美術館“四君子苑”について

【四君子苑は通常非公開・撮影禁止】
「北村美術館」(きたむらびじゅつかん)は実業家/山林地主であり茶人だった北村謹次郎の収集した、主に茶道の美術品を所蔵・展示する私設美術館。その数、約1,000点で中には34点の国指定重要文化財が含まれます。

美術館に隣接するのが北村謹次郎の旧邸宅『四君子苑』(しくんしえん)。昭和の数寄屋建築の傑作と言われるこの邸宅は近代京都の名棟梁・北村捨次郎と近代数寄屋建築家・吉田五十八により手掛けられたもので、表門、玄関・寄付、渡廊下・外腰掛、離れ・茶席が国登録有形文化財。
通常非公開ですが例年春・秋に特別公開されており、2020年の秋の公開期間は10月13日〜10月18日まで。

「四君子苑、いいよ〜」とは聞いていたのですが、いやーーーーー本当にむちゃくちゃ良かった…!!!!!『今年は八勝館が優勝!』と書いたものの、いやーーー両校優勝が妥当かもしれませんね…。もちろん(八勝館もだけど)建築だけでなく、庭園の空間も含めて、です。

撮影禁止なのでここで紹介できるのは表門と「ここからは撮っても大丈夫です」と言われたロビーからの風景(北村捨次郎による玄関)だけだけれど、吉田五十八による主屋も最高だったし、佐野越守という庭師が作庭した庭園も素晴らしかった。
庭園の写真が載ってる図録と『Casa BRUTUS』の《杉本博司が案内する日本の名建築》号、買ったよ…。杉本博司にして、この邸宅を自らの集大成『江之浦測候所』の《唯一無二のライバル》と言わしめている。

詳しい解説はそれらの本やパンフレットにあるし、ああー書きたいことたくさんあるけど、まとまらなさそうなのでポイントごとに書こう…。

■表門、玄関・寄付、渡廊下・外腰掛
これらは1944年(昭和19年)に数寄屋建築の名工・北村捨次郎を棟梁として完成した建築。

近代の庭園を調べる中で名前は見る機会のあった北村捨次郎…実際の建築を見るのは初めて。現存するのがもうここ含め3箇所程しかない(憧れの『野村碧雲荘』と、嵐山の竹内栖鳳の旧宅で現在は会員制施設『霞中庵』)という貴重な建築。

「四君子苑、いいよ」と勧められた時に、特筆されていたのは実は建築ではなく「延段(石畳)」だった。ということで全般的に延段や飛び石・庭石だけ切り取って見ていても見応えあると思います。待合風になってる玄関内の飛び石とかもめちゃくちゃ良い…。

玄関が待合風になっている所からして、なんだけど、とにかく「茶席がしたくてしたくて仕方がない」という雰囲気が伝わってくる。初期の邸宅の方にもほぼ全部屋、そして吉田五十八作の母屋にも炉を切って(炉を作って)ある。渡廊下もただ歩く通路ではなく、お庭の景色や音を含めて、全身で“茶室へ向かう”世界観を味あわされるような。

■離れ・茶席
最初の茶室“珍散蓮”の命名は近代三大茶人のひとり、“昭和の電力王”こと松永耳庵。渡廊下から、小間→広間へと少しずつ傾斜を上がっていく感じも庭の景色の移り変わりがあってすごくいいんだよなー。広間まわりの真黒石の延段が“絶品”ともともと勧められていた場所!

それにしてもこれらの建築を1940年〜1944年の戦中に作っているのがすごい…。そりゃあたしかに、大空襲が続き原爆が落とされ1945年に終戦を迎えるだなんて未来は誰もわからなかったことだろうけど。浮世人ですよね。憧れる。そうでありたい。お金はないけど。

■母屋
見学時に上がる玄関部分から北部分が吉田五十八が1963年(昭和38年)に建築したもの。元々は1944年に建てられた母屋があったものの、戦後にGHQに接収・改築され、元の姿を留めないものになってしまったので「もう一回作り直す」ことを北村謹次郎が決意。

そして完成したこの母屋の居間が良すぎて感涙。過去『成城五丁目猪股庭園』『東山旧岸邸』“リビングと庭がシームレスな関係性の吉田五十八建築が最高”と書いてるんですが、今回もその類であり——
今回これまでと比べて更に感動したのは、「そのシームレスに繋がっている感じが180度ではなく270度で感じられる」という点と、その先の借景が東山山系であり(今、自分が日常的に眺めている)大文字山という点でしょうか…。

そんな空間にも日常が感じられるデスクとチェアがあること、天井の照明、モダンな仏壇…挙げればキリがない。あんまりどこと比べて良い・悪いというのを論じたくはないのですが(猪股邸も旧岸邸も最高)、でもちょっと四君子苑は「ああこれは住宅の最高峰なんじゃないか」と思いましたねえ。先の北村捨次郎エリアや庭園も含め。

なんだろうなあ。吉田五十八は…なんか別に「近代数寄屋建築が〜」みたいなジャンルで語るんではなく、「古いからいい/だめ」「新しいからいい/だめ」「昭和だからダメ」というような価値観を全力でぶち壊してくれるんですよね(個人的には)。ノスタルジーではない、『今聴いてもこの曲が最先端だし最高』って感じ。

■庭園
ここまでの「最高!」という評価も、あくまで庭園の風景含めてです。現在残る庭園は吉田五十八の建築と同じ昭和の中頃に、佐野越守により(北村謹次郎の意を汲みながら)大改修されたもの。

佐野越守。初めて書く名前なのですがこれがまたすごく面白い庭園で…。パンフレット等々でクローズアップされいるのは『庭園には北村謹次郎こだわりの石造物が約60点配されている』ことであり、鎌倉時代の“日本最古の刻印付き”石灯籠など3点は国の重要文化財にもなっている。茶室前の『中宮寺』の礎石や長方形の“石棺沓脱石”にも目がいく。

で、庭園そのものなんですけど。すっごく『無鄰菴』みたいだなあと思った。それは大文字山(≒東山)の借景だけではなくて——

●すぐ先には鴨川があるのに、あえてゆるい斜面を作り川の風景をカットしている(山の方へ繋がるような景観になっている)

●その斜面を利用し、庭園を横切るように“流れ”がもうけられ、その流れは建物の右手側へと消えてゆく

●吉田五十八の母屋から眺めた時、真正面に大きな横たわった石がある。その先に大文字山へと視線が誘導される

…上の3つだけだと“無鄰菴じゃん”みたいな感想になってしまうのだけど、特筆したいのは池底。加茂の赤石的がびっしりと敷き詰められている…!白や灰色の石造物群とのコントラストが、池底の鮮やかな赤で演出されている。ヤバイ。

これ程の庭園を北村謹次郎と吉田五十八とともに作り上げた、佐野越守とは一体何者なのか。
海外の“Shofuso Japanese Garden”を手掛けた佐野旦斎の兄であり、二人は龍安寺付近の“植重”という植木屋に生まれたこと。という断片的な情報はあるのだけどまとまった情報がない。

佐野旦斎のお弟子さん・小野陽太郎さんのウェブサイトにいくつか情報があるけど——“植治をしのぐ勢いで作庭を手掛けた”という評がある中で、実際の作品の情報がないのが“庭園”というジャンルの難しさだな〜。引き続き今後調べたいし、“すごい人だった”というのはこの四君子苑を見ればわかるから。

…結局まとまった文章になっていないんだけど、当サイトがちゃんと堂々と非公開庭園に取材に伺える状況になったらば、真っ先に足を運びたい場所の一つになりました。

(2020年10月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

京阪本線 出町柳駅より徒歩5分
京都市営地下鉄烏丸線 今出川駅より徒歩15分
最寄りバス停は「河原町今出川」バス停下車 徒歩3分

〒602-0841 京都府京都市上京区河原町通今出川下ル東入梶井町448 MAP

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