近代日本庭園が好きな方に見て欲しい。ユネスコ無形文化遺産“鹿沼今宮神社祭の屋台行事”の観光拠点で見られる“鹿沼三名園”の庭園。
掬翠園・屋台のまち中央公園について
「掬翠園」(きくすいえん)は明治時代~大正時代にかけて作庭され、当時“鹿沼の三名園”の一つに挙げられた近代日本庭園。地元では紅葉の名所として知られ、シーズンには夜間ライトアップも。ユネスコ無形文化遺産にも登録された『鹿沼今宮神社祭の屋台行事』の展示施設もある『屋台のまち中央公園』の1施設として公開されています。
2021年秋に2年ぶり、コロナ以降では初めて北関東の地を訪れました。栃木で一番訪れたかったのが先に紹介した『古峯神社・古峯園』なんですが、鹿沼市でもう一つ訪れたかったのがこちら。古峯園と比べても情報が無い庭園だったのだけど、“数寄屋建築や近代の日本庭園が好き”な方なら「こちらも素晴らしい!」と感じるんじゃないか…自分がそうだったので!
中世(室町時代)には壬生氏が築いた「鹿沼城」の城下町として、江戸時代には世界遺産・日光の社寺へと至る日光例幣使街道の宿場町として栄えた鹿沼。その旧市街の中心部にあるのが『屋台のまち中央公園』。
この1998年(平成10年)に開園した公園には後述の庭園のほか、ユネスコ無形文化遺産&国重要無形民俗文化財でもある『鹿沼今宮神社祭の屋台行事』の屋台展示や伝統文化を伝える「屋台展示館」や鹿沼の名産を味わえる「観光物産館」も。
で、お目当ては公園内の施設の1つ(と言っても無料公開)の掬翠園。門前には“おくのほそ道”の旅で鹿沼にも立ち寄り句を詠んだ松尾芭蕉の木像も。この庭園が素晴らしかった!
近代に麻商として財を成した長谷川唯一郎が造営したこの庭園。命名は施主と親交が深かった書画家・中村不折(東京・日暮里の『書道美術館』の人)。
写真見ながら「ここもいいな、あれもいいな」とか考えてたらなんか上手くまとまらなくなったので箇条書きで…。
●園内の茶室“観濤居”(かんとうきょ)と“慶雲郷”(けいうんきょう)という和風建築、門を入ってすぐの江戸時代中期の建築“瑠璃殿”を飛び石で繋ぐ回遊式庭園。
●庭園の主となっているのは枯流れ。その中を見ていても施主が全国から集めた銘石、奇石の姿がよく見て取れる。
●観濤居の前の石灯籠や一枚岩の石橋、大きな石碑、あと大谷石?による石蔵も!
●頭上を覆うたくさんのモミジも良い!これは確かに紅葉の時期に来たいなあ。
●特に良いのが、観濤居の前の枯流れ。待合から枯流れの中で一番“渓谷”が表現されていると思われる部分が目の前に入る。茶室付近で見られる景観としては異質でカッコいい。
●施主・長谷川唯一郎の娘、長谷川宗召さんは茶道宗偏流の最高位で正教授で、この茶室・庭園には宗偏流の宗家もたびたび訪れて茶会も行われていたそう。
●一応、市の施設として公開が始まる前に整備された――とのことなんだけど、なんか別に新しくなっているという感じは(良い意味で)無くて。茶室との関係性含めて、近代日本庭園だなって趣きがある。
●じゃあどこが整備されたのか…?と思って1970年代の航空写真を見比べると、庭園の範囲はほぼ現在と同規模。観濤居の北側に一棟大きな主屋?っぽい建築がある(現在駐車場になっているエリア)。
●慶雲郷は現在よりももっと「昭和のカラフルな屋根」って感じで――現在の姿はかつて長谷川邸を訪れた芸術家たちによる美術品を残した既存の建物を半分は活かしながら、地元・鹿沼の木材を用いて整備したもの。
●観濤居も慶雲郷も個人での見学はできない?けど市民向けの貸出施設ではあるのでいつか内部を見に再訪したい…。
前述の中村不折のほかにも、栃木を拠点に活躍した版画家・川上澄生などの文化人が訪れた鹿沼の隠れた名庭園。他の2庭園、今宮町の『松華園』と上材木町の『村山晃南荘』は残念ながら現存せず。この庭園も地元の人にとっては「京都の庭園と比べたら、そんなそんな」って思われてるかもしれないけど――いや、掬翠園めちゃくちゃ良いよ!
京都にあったらそれこそ激賞されるレベルだと思う――まあそれが場所が異なるだけで地味に存在になることが往々にしてあるのも世の常だけど、個人的にはこの旅で「期待を越えてきた」度では最上位。
ちなみに新鹿沼の駅前には岡本太郎のオブジェも。今回は駆け足での滞在だったので、また行きたいなあ鹿沼の町。
(2021年10月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)