京都最初の禅寺に、“植熊”加藤熊吉が作庭した石庭“大雄苑”と現代に北山安夫が手掛けた枯山水庭園“潮音庭”。
建仁寺庭園“大雄苑”“潮音庭”について
「建仁寺」(けんにんじ)は室町時代に三代目将軍・足利義満によって定められた“京都五山”第三位の京都を代表する禅寺の一つで、臨済宗建仁寺派の総本山。京都の繁華街から最も近い大寺院。
国宝や国指定重要文化財の文化財を数多く所蔵するほか、庭園も昭和初期に“植熊”加藤熊吉により作庭された石庭“大雄苑”と現代に北山安夫の監修により小堀泰巖住職により作庭された“潮音庭”など複数の枯山水庭園を拝観することができます。2020年6月、約2年ぶりに拝観。
その歴史は鎌倉時代初期にさかのぼり、2代目将軍・源頼家の時代の1202年(建仁2年)に南宋で禅宗を学んだ栄西により“京都最初の禅寺”として建立されました。その後は鎌倉『建長寺』を開いた蘭渓道隆が住職をつとめた時代もあったものの応仁の乱などで荒廃。
桃山時代〜江戸時代初期にかけて、現在も残る国指定重要文化財の方丈が移築されて再興。移築元の“安芸の安国寺”って、重森三玲の整備した庭園が残る福山『安国寺』のことかなあ。
庭園以上に、建仁寺本坊は歴史的なものから現代のものまで多くの絵画が見られます。国宝の俵屋宗達『風神雷神図』(の陶板複製・高精細複製)や、海北友松一派による国指定重要文化財の障壁画(の高精細複製)、そして現代に描かれた小書院の染色画家・鳥羽美花さん作の襖絵と、小泉淳作による法堂の天井絵“双龍図”。またこの法堂も江戸時代中期の建築で京都府指定有形文化財。
その法堂から方丈に戻ったところに広がるのが石庭“大雄苑”。方丈の広い軒に見合う広大な枯山水庭園で、1940年(昭和15年)に“植熊”加藤熊吉により作庭されました。代替わりはしていますが現在でも“植熊”さんは京都の茶庭・露地庭の名手と言われる庭師。大海に見立てた一面の白砂の中に石や大きなマツが配されています。
豊臣秀吉が催した“北野大茶会”でも会場となったとされる茶室“東陽坊”(当時は『真如堂』の塔頭で、この茶室の移築は大正年代)や“清涼軒”という茶室の露地庭の散策の後、方丈の裏にあるのが苔とモミジの美しい“潮音庭”。
こちらと中庭の石庭“〇△□乃庭”を手掛けている北山安夫さんは“現代の小堀遠州”とも称され、建仁寺からもほど近い『高台寺庭園』なども手掛けられています。
また建仁寺の塔頭『両足院』には京都府指定名勝の庭園が、『正伝永源院』には庭園のほか国宝の茶室「如庵」の写しとなった茶室もあり、『霊源院』には“令和の枯山水庭園”があります。以下の関連記事よりチェック!
(2018年3月、2020年6月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)