現代にはあべのハルカスが借景!住友財閥の住友家本邸に近代京都の有名作庭家・七代目小川治兵衛と茶人・木津聿斎が作庭した庭園。
慶沢園(旧住友家本邸庭園)について
「慶沢園」(けいたくえん)は大阪の南のターミナル駅・天王寺駅からすぐの天王寺公園・天王寺動物園の一角にある日本庭園。
大正時代に日本の三大財閥“住友財閥”住友家の本邸の庭園として、武者小路千家の茶人・木津聿斎(木津宗詮)の設計の下、近代京都を代表する作庭家・七代目小川治兵衛(植治)により造園されました。大阪市指定文化財(名勝)。
2021年9月に4年半ぶりに訪れ、続けて2022年にも。アクセスの良さから“いつでも行ける”つもりで居たらすごく久しぶりに。初めて訪れた時は冬だったので、夏と冬の落葉樹の様子の違いがわかるよう写真を紹介してます。
現在も日本を代表する企業体“住友グループ”。この慶沢園は住友春翠こと住友家の15代目・住友吉左衛門の時代に明治時代~大正時代にかけて約10年の歳月をかけて造園されたもの。なお、小川治兵衛は京都の住友家の別邸『住友有芳園』の作庭も手掛けています(非公開)。
小川治兵衛と木津聿斎、京都の南禅寺界隈別荘の一つ『看松居』(現・桜鶴苑)でもタッグを組んだ両者により1918年(大正7年)に竣工した慶沢園、春翠は当初“恵沢園”と名付けていましたが、竣工時に伏見宮貞愛親王より賜った“慶沢園”に改名。
で、この大作が竣工した数年後には住友家本邸は神戸・住吉に移ることに。その際に慶沢園および、現在『大阪市立美術館』の建つ旧本邸の敷地や住友家が所有していた茶臼山一帯が大阪市に寄贈されました。話のスケールのデカさよ…(なお、大阪市立美術館も昭和初期の近代建築として国登録有形文化財です)。
現代においてはあべのハルカスの借景やハルカスのリフレクション(水鏡)も楽しめる大規模な池泉回遊式庭園。数多く名庭園を手掛けた小川治兵衛の庭園の中でも『平安神宮神苑』と並ぶ規模で、“大名庭園をモデルとした”と文化財指定の解説にある通り、洲浜など他の小川治兵衛の庭園にあまりない特徴も。
その一方で北東部の大滝やその上段部の“山の景”を表現したような起伏ある築山(森林)部分や水面の上を歩く沢飛び石からは“植治らしさ”が感じられる…かな?
長大な切石橋や舟形石など庭石も全国から集められた銘石が用いられています(北東部の山の頂上に沢山のヒビや穴が刻まれた巨石があるんだけど、あれなんだろう。言われがありそうだけど、何も説明がない)。
庭園の北部分には木津聿斎設計の茶室“長生庵”や藤田財閥ゆかりの“旧藤田家正門”、そして天王寺公園~慶沢園へと向かう途中には“旧黒田藩蔵屋敷長屋門”などの歴史ある和風建築も点在。
そんな三大財閥に相応しい庭園ですが、今のところ国指定名勝にはなっていない。昭和初期の一般公開スタート時や戦後の復興時に一部整備・改修されたそうなので、それが理由なのかなあ…?
そして文化財のランクが理由ではないだろうけど、初めて訪れた時も休日にも関わらずあまり人が居なかったし、最近も天王寺公園(てんしば)の圧倒的な人の多さから考えると少ない。だから名園を快適に鑑賞できるといえばそうなのだけど…。
関西国際空港からのアクセスの良さや訪日旅行客の日本庭園人気の高さを考えると、インバウンドが活発な時にはもっともっと人が訪れているのだろうけど。でもそこに頼らずとももっと注目されて欲しいなあ。
『加賀屋新田会所庭園』の中で書いたことに近いけど。“稼げる公園”というフレーズに賛否両論あるのは理解しているけど、てんしばを訪れる多くの方々が楽しんでいるバイブスが慶沢園の中まで持続させられたらいいのになあ…と感じる。
どこまでがセーフなんだろうなあ、飲食店を入れると「文化財の中で飲食って…」って反応があるかもしれないけど、『岡山後楽園』とかは園内売店賑わってるし、それによって価値が失われているなんて1mmも思わない。
慶沢園は国指定名勝じゃないからこそ、“稼げる日本庭園”の成功例を目指してほしいなんて期待しちゃいます。“庭園”がもっと幅広い層が行きたくなる場所になるために…。
【P.S.】小川治兵衛より少し前を生きた近代造園史の重要人物・小沢圭次郎も『天王寺公園の日本庭園』の作庭に携わったと実績にある。慶沢園ではないと思うのだけど、天王寺公園に別の日本庭園があったのかな…?
(2017年2月、2021年9月、2022年9月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)