京都大学名誉教授・増田友也のモダニズム建築と、能舞台を一体化した大正時代の邸宅と眺めの美しい回遊式庭園。
関西セミナーハウス・修学院きらら山荘庭園について
「関西セミナーハウス・修学院きらら山荘」(かんさいせみなーはうす・しゅうがくいんきららさんそう)は国指定名勝『曼殊院門跡』と『修学院離宮』に挟まれた山間にある日本クリスチャン・アカデミーの研修宿泊施設。
建築家・増田友也(元京都大学工学部教授)の手掛けたモダニズム建築の本館や大正時代に建てられた和風家屋を利用した別館、それに付随した能舞台“豊響殿”、茶室“清心庵”、それらを回遊する日本庭園があります。
『こんな時だから、住んでる町のホテル、旅館、ゲストハウスに泊まりたい』…というのと時を同じくして、色んな宿泊施設のリモートワークプラン/テレワークプランをめちゃくちゃ調べている。庭園がある場所でリモートワークさせてもらえるのならば、行きたい!
そこで見つけたのがこちらの施設。修学院離宮から曼殊院門跡向かう時に案内板は見たことがある気がするなー…と思ったけどこんな建築・庭園があるとは知らなかった。曼殊院門跡の坂を登って割とすぐ辿り着きます。まあ自転車だとあの坂登るのがまあまあ大変なんですけど…。
昭和の香り漂うコンクリート打ちっぱなし建築を手掛けた増田友也さんは京都大学名誉教授でもあった方で、京都で手掛けた建築の大半が京大の施設。それ以外&当サイトに載っているものだと『蹴上浄水場』の本館。
この建築は1966年(昭和41年)に手掛けられたもので、その後京都大学工学部の増田友也研究室内で発足した“ゲンプラン”という設計事務所によって1998年(平成10年)に増改築されました。
その本館の2・3階から一段高台に位置する和風別館と日本庭園に出ることができます。和風別館となっている邸宅が建てられたのは大正時代末期の1920年代。一体化している能舞台“豊響殿”はその更に以前、1898年(明治31年)に豊臣秀吉の300年祭(豊太閤三百年祭)にあたり京都・豊国神社に造営されたもの。その後この地に移築されました。
…こんな立派な能舞台が一体化した邸宅(なお玄関も外観だけだけどとても立派)。修学院離宮の中離宮(林丘寺)からも目と鼻の先。現在もすぐ隣の山林は曼殊院の私有林。かなり格式が高い人の邸宅に違いないと思うのだけど、現段階では詳細は不明…。大好きな『近代京都オーバレイマップ』で見ると大正時代から確かに建物の姿が描かれているけど記名はないんだよなあ。
なお、茶室“清心庵”は大正期に造られて以降、1978年に裏千家第15代・千玄室大宗匠に再興されたもので、現在も月釜で利用されています。
5月中旬のこの日はまだ暑くもなく、自分は窓を開けっぱなしで外の音を聴きながら部屋で仕事していたけど、中2階のテラスでお仕事されている方も気持ち良さそうに見えた。それにしても、こんなに鳥の声しか聴こえない山の中腹で仕事するなんて、東京の都心で働いていた頃には想像もできなかったなーーと、癒されすぎて集中力に欠けた(笑)
庭園の散策はフロントにお声掛けすれば宿泊されなくても可能とのこと。修学院離宮〜曼殊院門跡間を鑑賞する予定の方がいたら、こちらの散策もどうぞ。
ちなみに先日紹介した『胡乱座』と今回紹介した“豊響殿”には一つ共通点があり、“アラキ工務店”という会社さんが手掛けられていること。
この会社さん、たまたま自宅近くで町家の修復を手掛けられていて…現場に会社案内のリーフレットを置いてたからちょっと興味でそれを見たりウェブサイト見たりしてたら、2軒とも載っていて。中村外二工務店とか、安井杢工務店とか、庭園⇒数寄屋建築/茶室⇒設計者⇒棟梁…となんか色々知りたいことが増える。
(2020年5月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)