日本を代表する現代美術館で見られる、江戸~鎌倉の屋敷を経て金沢に移築された加賀藩主前田家の茶室と庭園。
金沢21世紀美術館 茶室“松涛庵”“山宇亭”について
「金沢21世紀美術館」(かなざわにじゅういっせいきびじゅつかん)は金沢を代表する観光スポットのひとつ。建築設計はSANAA(妹島和世+西沢立衛)で、2004年のヴェネツィア・ビエンナーレで金獅子賞を受賞。
レアンドロ・エルリッヒ『スイミング・プール』や“タレルの部屋”ことジェームズ・タレル『ブルー・プラネット・スカイ』など世界的アーティストの恒久展示作品で知られます。
自分も2011年に初めて訪れて以来何度も足を運んでいる、日本を代表する現代美術館――なのですが、実は茶室と露地があります。…って何度も行ってるつもりなのに気づいてなかった…!
美術館敷地の南東部(『金沢市立中村記念美術館』寄り)に「松涛庵」「山宇亭」というそれぞれ歴史とルーツが異なる2つの茶室があります。2021年6月に初めて茶室も見学。
■山宇亭+腰掛待合
まずは入口右手にある“山宇亭”(さんうてい)。
元は富山県高岡市にあったもので(それ以前のルーツは不明)、1951年(昭和26年)に東証一部上場企業「石川製作所」の創業者で石川県の財界の有力者だった直山与二の邸宅に移築され茶室として用いられていたもの。四畳半+水屋。
21世紀美術館から程近くの“本多の森”の中にあったことから“山のお茶室”の愛称で親しまれていたことから、寄贈~美術館敷地への移築に伴って“山宇亭”と命名されました。また一緒に移築された腰掛待合は加賀藩の重臣“加賀八家”の長家に当初あったものとされます。
■松涛庵
そして入口左手にあるのが立礼席と“松涛庵”(しょうとうあん)。こちらは加賀藩主・前田家ゆかりの書院建築。
当初は江戸時代末期~明治維新後に加賀前田家13代目・前田齊泰が江戸・根岸に構えた隠居所“冨有園”の居室として建築されたもの。
ちなみに公式には“江戸時代末期”とあるけど、前田家が根岸に屋敷を構えたのは明治時代に入ってから。前田家の根岸邸は一時的に前田家本邸にもなりましたが、本郷邸(現在の『懐徳館庭園』)にその役割を移し、戦後のドサクサで現在の歓楽街・鶯谷へと変貌。正岡子規の旧宅『子規庵』(前田家の御用人の長屋)に微かながらその面影を残します。
その後、昭和初期の1936年(昭和11年)に前田家16代目・前田利為によって造営された鎌倉の前田家別邸(現『鎌倉文学館』)に移築され、その際に茶室“松涛庵”と命名。前田斉泰が暮らしていた頃にはべんがら色に塗られ“赤い間”と呼ばれたそうですが、現在のような青色に塗られたのはこの頃?(現在は色が落ちてミントブルーの色合い)
1964年~1975年(昭和39~50年)の約10年間は戦後の首相・佐藤栄作が別荘として利用した前田家鎌倉別邸、この佐藤栄作はこの“松濤庵”も好んで使ったそうでスタッフの方は氏と松涛庵のエピソードも話しておられた。
氏の亡き後、本館(洋館)と敷地が前田家から鎌倉市に寄贈され『鎌倉文学館』としてオープンしたのと前後し、松涛庵は金沢市内の民間の敷地に再移築。更に2000年代に金沢市に寄贈、再々々移築され21世紀美術館へやってきました。
『鎌倉文学館』の歴史には書かれない“松涛庵”と、“松涛庵”の説明には書かれない『鎌倉文学館』。そして“冨有園”は跡形も無いようで、唯一残された『子規庵』。色んな庭園が繋がっている。
山宇亭と松涛庵の露地の作庭は地元・金沢の造園会社、庭芸社さんによるもの。21世紀美術館の開館に伴って整備されたものなので新しい庭園ではあるけど、庭石や手水鉢といった石造物は別の古い庭園にあったものなんかな~と思う雰囲気もある。現代アートと共に、更に歴史を重ねてほしい茶室と庭園!
(2011年3月、2013年3月、2014年5月、2015年9月、2017年5月、2019年3月、2020年9月、2021年6月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
JR北陸新幹線 金沢駅より路線バス「広坂・21世紀美術館」バス停下車 徒歩2分
JR金沢駅より2.5km(徒歩30分/駅周辺にシェアサイクルあり)
〒920-8509 石川県金沢市広坂1丁目2-1 MAP