定勝寺庭園

Joshoji Temple Garden, Okuwa, Nagano

モダンな石組がカッコいい枯山水庭園!国重要文化財の伽藍をほこる名刹“木曽三大寺”に長野県拠点の現代の作庭家・小口基實による枯山水庭園“鶴亀蓬莱庭園”。

庭園フォトギャラリーGarden Photo Gallery

定勝寺庭園“鶴亀蓬莱庭園”について

「浄戒山 定勝寺」(じょうしょうじ)は中山道六十九次の39番目の宿場「須原宿」にある臨済宗妙心寺派の寺院。江戸時代初期の建築である山門・本堂・庫裏が国指定重要文化財。長野拠点を拠点とする現代の作庭家・小口基實さん作庭による枯山水庭園“鶴亀蓬莱庭園”があります。

※2024年秋より本堂・庫裏の改修/耐震工事に入っているため建築内部の拝観はできませんが、庭園は自由に拝観できます。

脇本陣だったお屋敷(※非公開)を始めとして、宿場町だった時代の面影を現在も残す須原の町並み。駅から徒歩10分程の場所にある定勝寺は(繰り返しになりますが)山門・本堂・庫裏が国指定重要文化財という木曽路屈指の古刹で、『興禅寺』などと共に“木曽三大寺”に挙げられます。日本遺産『木曽路はすべて山の中』の構成文化財。

その歴史について。南北朝時代の嘉慶年間(1387年頃)、木曽の領主・木曽氏11代目の源親豊(木曽親豊)が木曽家の祖先の菩提寺として創建。以来木曽家に支えられ、戦国時代に活躍した戦国大名・木曽義昌を始めとする歴代当主から送られた美術品や歴代当主の位牌が安置されてます。

当初は現在よりも木曽川に近い場所(木曽川畔)にあったそうですが、木曽川の氾濫や洪水により度々流出。桃山時代の1595年(文禄4年)の流出の後に、木曽家に代わって木曽代官として木曽を治めはじめた石川備前守光吉の援助により1598年(慶長3年)に現在地(木曾義在居館跡)に移転。重要文化財の建造物の中でも本堂が最も古く、移転と共に建立されたもの。桃山時代の様式が随所に見られるとか。

庫裏の前に、頭上をモミジに覆われた枯山水庭園“鶴亀蓬莱庭園”が広がります。作庭を手掛けた小口基實さんは長野を拠点にしながら第2回日本庭園協会賞を受賞されている現代の有力作庭家で、先にも名前を挙げた『興禅寺』にも枯山水庭園があります。

1993年(平成5年)に作庭されたこの庭園はその名の通り、吉兆を呼ぶ「鶴・亀」や、白砂で表現された大会に浮かぶ蓬莱島をイメージした島や枯滝石組が配された庭園。建築が作られた桃山時代~江戸時代の京都風の庭園様式を取り入れながらも、園路から見て手前にある鶴島は古庭園ではほぼ見ない鋭利な石を立てる前衛的な(現代的な)デザインで、まるで折鶴のよう!(その奥にある石橋も細長~い)

庭園の先に進んだ丘の上には、人間国宝にも選ばれた昭和の鋳金工芸作家・香取正彦さん作による梵鐘の架かる鐘楼堂が。またこの定勝寺は「蕎麦切り」(いわゆるお蕎麦)に関する日本最古の文書(室町時代)も所蔵されている、ある意味「蕎麦発祥の地」(と自称されている訳ではないけれど)。明治天皇行在所の石碑も建ちます。
須原駅に停車する鉄道の本数の少なさで、公共交通機関で訪れるには計画性が必要だけど――木曽屈指の名刹、ぜひ訪れてみて。

(2024年11月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

JR中央本線 須原駅より徒歩10分

〒399-5502 長野県木曽郡大桑村須原831-1 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は2,000以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
PICK UP - TOUR / EVENT
MEDIA / COLUMN
最新の庭園情報は約10万人がフォローする
【おにわさん】のSNSから。