近代の建築家・片山東熊が設計の山陰を代表する近代洋風建築と、大名・池田家ゆかりの鳥取市の文化財庭園。
仁風閣・旧宝隆院庭園について
「仁風閣」(じんぷうかく)は国指定史跡で日本100名城『鳥取城』の城麓にある洋風建築。国宝の『赤坂迎賓館』(旧東宮御所)等を手掛けた建築家・片山東熊による設計で、山陰の代表的な近代建築として国指定重要文化財。洋館の前には江戸時代の日本庭園『旧宝隆院庭園』も。
2016年夏に初めて訪れ、2021年9月に5年ぶりに再訪…したつもりだったけど休館日だった。残念。洋館の外観写真のみ追加。
戦国時代には山名氏、江戸時代には岡山藩から移封となった大大名・池田氏の居城となった『鳥取城』。明治時代に入り廃城令で各種建造物が解体されたのち、11代目藩主・池田慶栄の夫人・宝隆院の暮らした“扇御殿”の跡地に1907年(明治40年)に新築されたのが仁風閣。
旧鳥取藩主・池田家の14代目当主・池田仲博侯爵が、当時皇太子だった大正天皇の山陰行啓を迎え入れるための迎賓館(別邸)として造営。外観や屋内のらせん階段など数々の意匠からその格式の高さも伝わります。命名は皇太子に随行していた東郷平八郎。
その洋館の2階から一望できる庭園。建物手前は洋館とマッチする芝庭が広がりますが、奥にはフレンチ・ルネッサンス様式の白亜の洋館とは対照的な池泉回遊式の日本庭園が。この『旧宝隆院庭園』は先述の宝隆院のために12代目藩主・池田慶徳が造営したもので、幕末の1863年(文久3年)の作庭。
庭園の一角にある茶室“宝扇庵”は“扇御殿”の離れ(化粧の間)として建てられたもので、御殿としても鳥取城の江戸時代の建造物としても現存する唯一の遺構。
文化財としては市の指定名勝ですが、大名・池田家ゆかりの茶室や庭園としても、そして白亜の洋館との意外性ある組合せとしてもすごく良い庭園。ただそんな歴史的庭園も、イノシシによる獣害が見て取れるので…「なんか荒れてるよね」ではなくせめてその貴重さが伝われば嬉しい。
(2016年8月、2021年9月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
JR山陰本線 鳥取駅より徒歩30分弱(鳥取駅にレンタサイクルあり)
鳥取駅から路線バス「西町」「仁風閣・県立博物館」バス停下車 徒歩2分
〒680-0011 鳥取県鳥取市東町2丁目121 MAP