2022年秋、完全予約制で特別公開。足利将軍家や皇室ゆかりの尼門跡寺院の美しい苔の広がる枯山水庭園。豊臣秀吉ゆかりの“出世石”も。
慈受院(慈受院門跡)について
【通常非公開/2022年10月1日(土)〜12月11日(日)まで予約制特別公開】
「広徳山 慈受院」(じじゅいん)は豊臣秀吉の都市計画により寺院が集められた上京区の“寺之内”に位置する臨済宗の寺院。室町時代の創建以降、足利将軍家/皇室/摂関家から住持を迎えた“門跡寺院”で、“薄雲御所”“竹之御所”とも称されます。
普段は非公開(拝観謝絶)の寺院ですが、2022年秋に10月1日(土)〜12月11日(日)まで特別公開(自分供養・お茶席付)が行われています。→特別公開の詳細は公式サイトより。
その歴史について。室町時代の1428年(正長元年)、室町幕府4代将軍・足利義持の正室で5代将軍・足利義量の母・日野栄子により創建。
義持の亡き後に出家し竹庭瑞賢尼和尚(法号:慈受院淨賢竹庭尼大禅師)となった日野栄子が、亡き夫の遺言に沿って天皇家の菩提を弔うために建立されたと伝わります。
以来、足利将軍家のほか宮家・“五摂家”の近衛家・花山家から交互に住持を迎える皇室ゆかりの“尼門跡寺院”に。
江戸時代前期には後西天皇の皇女・瑞光内親王、伏見宮息女も入寺する格式をほこりましたが、江戸時代中期の宝永の大火で焼失した後は一時断絶。
現在地で再興されたのは大正時代。1919年(大正8年)に慈受院と同じ日野栄子ゆかりの寺院『総持院』が慈受院を併合する形で「慈受院」と改称。
“竹之御所”の名は日野栄子の戒名より取られたもので、また近年の調査で『源氏物語』に登場する「薄雲御所」ゆかりの寺院であることがわかり、「薄雲御所」とも併せて表記されます。
門をくぐるとまず玄関の見せ方が独特。式台玄関を隠すように大きな金木犀の刈り込みが。特別拝観の序盤(10月前半)にはオレンジ色の花と香りが参拝者を迎えてくれる…はず。(開花前でした)
この本堂(方丈)も皇室ゆかりの建築で、1788年の天明の大火の後に『京都御所』から光格天皇の御産殿を移築したもの。
堂内の表具や調度品が全体的に明るくて色鮮やか…という感じで、きっとこれは(決して数が多くない)尼門跡寺院だからこそなのかな…!と。デザイン的に新鮮に感じる場面が多々。
今回の特別拝観では御本尊の釈迦如来像(足利義持の持仏)、これまで秘仏だった「毘沙門天像」(後陽成天皇から近衛家を通じて寄進)や、聖武天皇の正室・光明皇后の御髪で織られたという奈良時代のお経、豊臣秀吉より賜った豊臣秀頼公の産湯道具と伝わる桶・水差し…等の寺宝をお参り・鑑賞できます。
そして、今回の特別拝観では複数の庭園も鑑賞することができます!現在、慈受院のお手入れや庭園修復を手掛けられているのは『瑠璃光院』や『厭離庵』等も手掛けている庭師・松浦剛さん。
■本堂南庭“慈しみの庭”
今回の特別拝観では写経の後に心を落ち着かせて鑑賞する主庭“慈しみの庭”。中央に白砂の流れ、そして手前に苔の広がる枯山水庭園。
庭園の主木の楠木は樹齢800年とも伝わるご神木で、その足元にたたずむ四角い庭石“出世石”には豊臣秀吉が座り瞑想したという言われも。
建物から庭園左手にあるマツも秀吉ゆかりの松で、加藤清正が朝鮮出兵の際に持ち帰った松ぼっくりを豊臣秀吉が受け取り、それをこのお寺(=当時は総持院?)の庭にまいた所から成育したもの…と伝わります。
なお今回は特別に許可をいただいた上で庭園に降りた目線の写真も掲載しています(*実際の特別拝観では本堂内からの鑑賞のみ)。こういう上京区の“皇室ゆかりの寺院の流れのある枯山水庭園”という所では『大聖寺庭園』を思い出す。元は近い作風だったのかな。
■本堂北庭“山野草の庭”
本堂の北側、そして書院の立礼席の2方向から眺められるのが“山野草の庭”。宗教的な世界観が反映された主庭と比べて、こちらはその名の通り草花が主役のお庭。
手水鉢に落ちる水の音を聞きながらお茶を一服いただきつつ、花の蜜や実を求める鳥や蝶を眺める、そんな柔らかな庭園。
その他にも書院の中庭や花頭窓から眺める前庭などの庭園風景が楽しめる…のですが、こんな所にも!と思ったのが毘沙門堂に入る直前の白砂の坪庭。石塔の笠の中にかわいらしい花がいけられていました。
いよいよ賑やかさを取り戻す2022年の秋の京都、喧騒から逃れて落ち着いた少人数の寺院を探している方にオススメ!
(2022年10月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
京都市営地下鉄烏丸線 今出川駅・鞍馬口駅より徒歩13分
最寄りバス停は「堀川寺ノ内」バス停 下車徒歩1分
〒602-0072 京都府京都市上京区寺之内堀川東入百々町540 MAP