寂光院庭園

Jakkoin Temple Garden, Ohara, Kyoto

苔むした庭門も美しい―聖徳太子が創建した代々の尼寺に残る、後白河天皇と建礼門院が対面した池泉式庭園。

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寂光院庭園について

「寂光院」(じゃっこういん)は聖徳太子により創建されたと伝わる古寺で、平安時代には阿波内侍平清盛の娘であり壇ノ浦の戦いで入水した安徳天皇の母・平徳子こと建礼門院が長い時間を過ごした尼寺。正式な寺名は『清香山 玉泉寺 寂光院』。2019年8月、初めて大原の寺院庭園を巡った際に拝観!

創建は推古天皇の時代の594年。聖徳太子が父・用明天皇の菩提を弔うために建立したと伝わります。当初から尼寺として女性が住職を務められていたそうで、現在2代目住職に位置づけられている藤原信西の娘・阿波内侍(あわのないし)は“大原女”のモデルとも言われます。ちなみに阿波内侍ゆかりの庭園というと、徳島県指定名勝の『願勝寺庭園』があります。
平安時代の終わり、平家が壇ノ浦の戦いで敗れた後には建礼門院が入寺し、平家一門と安徳天皇を弔いながら晩年を過ごされたそう。ちなみに建礼門院が出家したのは円山公園の近くにある『長楽寺』

近年まで徳川家康豊臣秀頼・淀君片桐且元の手によって修復・再興された本堂が残っていましたが、2000年に火事で焼失。その際に国指定重要文化財の鎌倉時代の御本尊・地蔵菩薩像も激しく損傷したそうですが、現在は修復され収蔵庫に所蔵されています。近年は春・秋に特別拝観も。

境内にはいくつかの池泉庭園があります。まずは本堂の左右にある心字池と“汀の池”。“汀の池”と呼ばれる池泉は『平家物語』の中で、建礼門院と後白河法皇が対面する“大原行幸”の中で《池水に汀の桜散り敷きて 波の花こそ盛なりけれ》という描写から呼称されているもの。
そして本堂の右手側、植栽の小さな刈込みが目を引く“心字池”は背後の山から引かれた水によって三段の滝が表現されています。また池の近くに置かれている鉄製の変わったデザインの灯籠は豊臣秀頼が本堂を再興した際に伏見城から寄進したものと伝わります。

そして参道の途中にある苔むした庭門をくぐった先にあるのが茶室“孤雲”へと至る池泉庭園。京都御所で行われた昭和天皇の即位の御大典の際に用いられた部材によって造られた茶室で、昭和6年に千宗室により茶室開きが催されたそう。こちらの庭園も良い雰囲気なのですが、結界の外から眺める形。こちらもいつか歩いてみたい庭園です。

(2019年8月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

国際会館駅より路線バス「大原」バス停下車 徒歩15分

〒601-1248 京都府京都市左京区大原草生町676 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は2,000以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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