伊藤忠/丸紅の創業者・伊藤忠兵衛が明治時代に暮らした“豊郷本家”の庭園は“鈍穴流”花文の二代目による作庭。
伊藤忠兵衛記念館・伊藤忠兵衛旧邸について
「伊藤忠兵衛記念館」(いとうちゅうべえきねんかん)は大手総合商社『伊藤忠商事』『丸紅』両社の創業家・伊藤忠兵衛の初代・二代目が明治時代に過ごした旧宅で、“豊郷本家”と称されます。その庭園は近江五箇荘を拠点とし、滋賀で数多くの庭園を手掛けている“鈍穴流”花文の二代目による作庭。
言わずと知れた伊藤忠と丸紅。個人的に東京・外苑前勤務だった時代がある(そして神宮外苑界隈は数えきれないぐらい遊びに行った)ので「すげーなー」と思いながら見上げる存在だったのですが、その創業者が滋賀・豊郷出身の近江商人とは全く知りませんでした。
豊郷町って言ったらなんと言ってもウィリアム・メレル・ヴォーリズの『豊郷小学校旧校舎群』と『けいおん!』。豊郷小学校は2回来たことがあったんですがこの記念館は今回が初めて。2019年に近江五個荘の近江商人屋敷で鈍穴流の庭園に出会って「近江商人屋敷、良い庭あるなぁ」と気づいてから豊郷にもこの屋敷目当てでずっと再訪したかった。
“紅長”という屋号の商人の家に生まれた初代伊藤忠兵衛。これが“丸紅”という屋号に繋がっていて、1872年(明治5年)30歳の時に大阪で開いた繊維問屋の名前は“紅忠”でした。
地元・豊郷の旧中山道に面したこの旧宅を建てたのは1882年(明治15年)。戦前~戦後にかけて伊藤忠・丸紅を国際的で本格的な総合商社に育て上げた二代目伊藤忠兵衛はこの旧宅が生家。
この豊郷本家は初代伊藤忠兵衛の100回忌を記念し、2002年から公益財団法人の下で一般公開が開始。屋内には初代と二代目の伊藤忠兵衛、そして妻・母だった八重に関する資料やゆかりのアイテム、伊藤忠兵衛の商人として・経営者としての様々な言葉が残されている――のですが、ここでは庭園をメインに。
訪れた時はここは鈍穴の庭だと知らず。五箇荘からの近さ+建物の中山道側の園路が「五箇荘の鈍穴流の庭園と似てるなあ」と思って、「花文」の歴史をまとめた書籍『秘伝・鈍穴流「花文」の庭』を見直したら載っていました。
記念館の公式やもらった資料では庭園についてはふれられていないのでこの本から少し情報を参照させていただくと、作庭年代は建物と同じく明治時代、花文の二代目によって作庭されました。
建物の奥(蔵や茶室をのぞむ側)の主庭(中庭)が…飛び石や灯篭はあるものの、園路がブツっと終わっている感じ、そしてその先が「広場」って感じの雰囲気になっているのが気になっていたのですが、元々の伊藤忠兵衛旧邸には更に座敷と庭園があり、それらは二代目伊藤忠兵衛が熱海に建てた別荘に移築されたのだとか。
現在ここで見られる茶室も2000年の再建というのを踏まえると…元の敷地はもう少し広くて、塀の先にある小道と3軒の民家のある区画あたりまで敷地があった(そこに移築された座敷と庭園が続いてた)んじゃないかなあと想像。
なお、その熱海の別荘は現在は伊藤忠ではない別の某・大企業が所有とのこと……由緒ある屋敷とその庭園が人知れずとも保存されているのは嬉しい限り。有力者の邸宅の庭園は、やはり有力な作庭家が手掛けていた。いつか見る機会が訪れないかな……。
(2020年11月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)