世界遺産・東大寺や若草山の借景が絶景!奈良を代表する日本庭園は江戸時代&近代に作庭された二種の庭園による広大な回遊式庭園。
依水園/寧楽美術館について
「依水園」(いすいえん)は奈良の代表的観光スポット『奈良公園』や世界遺産『東大寺』に隣接する国指定文化財(国指定名勝)の日本庭園。世界遺産「古都奈良の文化財」には含まれませんが、奈良で最高級の庭園として人気。園内には『寧楽美術館』(ねいらくびじゅつかん)を併設。
若草山/春日山/御蓋山を背後にのぞむ約11,000平方メートルの広大な庭園。江戸時代初期に作庭された「前園」と、東大寺の南大門も庭園の借景に取り込んだ明治時代作庭の「後園」の2つの池泉回遊式庭園で構成されます。
■前園
受付を済ませて序盤が“前園”。古くは『興福寺』に関連する別業(別荘)の跡地だった場所に、江戸時代初期の延宝年間(1670年代)に麻織物「奈良晒」を扱う御用商人・清須美道清が造営した別邸をルーツとします。
池泉回遊式庭園のほとりに建つ茅葺屋根の“三秀亭”は庭園と同時に建築された主屋で(明治時代に数寄屋風に改築)、現在は園内のレストラン/お食事処として利用されています(2018年に訪れた際はその茅葺屋根の修復中でした)。
■茶室“挺秀軒”〜“清秀庵”〜茶庭
前園から後園へと至る途中には2つの茶室と露地庭園があります。まずと小川べりに建つ茅葺屋根の四畳半の茶室“挺秀軒”(ていしゅうけん)。こちらは前園と築いた清須美道清が“三秀亭”と同時に煎茶室として建てたもの。
小川と編笠門を隔てた先にある茶室が“清秀庵”。この茶席“又隠席”を写した四畳半茶室は明治時代にこの庭園のオーナーとなり“後園”を造園した関藤次郎の時代、1900年(明治33年)に茶道裏千家12代目宗匠・又妙斎の設計指導の下で建築。
清秀庵の造営にあわせて挺秀軒も待合風に改築され、あわせてこれらの茶室の周囲の茶庭(露地)も又妙斎宗室の設計により作庭されました。現在の順路ではこの両茶室の前を通るのは“後園”を挟んだ後になるけれど、本来はこの2つの茶室と庭園がセットの空間。
■後園
この茶庭を抜けて空間が開けると、東大寺南大門と山々の借景が圧巻の“後園”が現れます。明治時代、実業家・関藤次郎がオーナーの時代に作庭されたもので、大きな池は草書の“水”をなぞらえて掘られたもの。
正面手前の大きな芝生の築山は若草山と一体化した空間を演出。庭園正面の滝石組の脇には水車小屋が建ち(現在もこの庭園の一部として稼働中)、緩やかな斜面をのぼり奥に進むにつれ苔むした自然風の庭園に移ろっていきます。
山々を正面を見て手前には歴史的な和風建築が2つ。まずは茅葺/兜造り屋根の“氷心亭”。こちらが後園とあわせて造営された後園のメインの建築で、後園に面した広間は裏千家“寒雲亭”の写し、また床の間は京都『桂離宮』の書院の一部を模しているとか。
かつてはこの中で茶会や詩歌の会が催されていたそうですが、現在もこの場でお抹茶をいただきながら後園を眺めることができます。
氷心亭と並んで建つのが“柳生堂”。柳生宗矩が有名な剣豪・柳生一族の菩提寺『芳徳寺』にあった安土桃山時代からの歴史をもつお堂で、明治時代に取り壊しの危機にあったところを関藤次郎が購入し、この地に移築されました。
昭和初期(1939年)に神戸で海運業を営んでいた中村準策が関家より依水園を買い受け、現在見られる庭園に整備。1969年(昭和44年)に『寧楽美術館』が開館し、中村準策/中村準一/中村準佑の三代が収集した茶道具・陶器など、神戸大空襲を免れた美術品2,000点超が所蔵・展示されています。建築設計は東畑謙三。
冬・晩春・晩夏・秋とそれぞれの季節に訪れたけれど、どの季節に訪れても素晴らしい!
また依水園のすぐ隣にも『吉城園』という奈良県指定文化財の庭園があります。そちらも併せてチェック!
(2014年1月、2016年5月、2018年9月、2022年11月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
近鉄奈良泉 近鉄奈良駅より徒歩10分強
JR大和路線・奈良線 JR奈良駅より徒歩25分
JR奈良駅・近鉄奈良駅より路線バス「県庁東」「押上町」バス停下車 徒歩3分
〒630-8208 奈良県奈良市水門町74 MAP