江戸時代に鳥取藩主・池田光仲が遠州流茶人・山本宗林に作庭させ、鳥取の作庭家・青木清輝氏が2021年に修復した池泉庭園。
芳心寺庭園“お題目の庭”“鶴亀の庭”について
「大寶山 芳心寺」(ほうしんじ)は『鳥取城』も築かれた久松山山系の東麓にある日蓮宗の寺院。日蓮宗総本山『身延山久遠寺』の別院として“山陰身延”の呼称も。鳥取藩主・池田家に仕え茶事役をつとめた茶人・山本宗林の作庭と伝わる庭園があります。
2021年9月、約5年ぶりに鳥取市を訪れた際に初鑑賞。先に紹介した『樗谿公園“梅鯉庵”』に隣接し、同じ山裾には国指定名勝の『観音院庭園』も並ぶ、かつての寺町エリアに芳心寺はあります。
その歴史について。室町時代の1544年(天文13年)、京都『妙顕寺』の僧・龍華院日広上人が備前国に創建した「正福寺」をその前身とします。
江戸時代に入ると岡山藩主となった池田家の祈願所となり、池田光仲の代に鳥取藩に国替えになったのに伴って鳥取に移転。その後の1713年(正徳3年)に光仲の夫人(紀州徳川家初代・徳川頼宣の娘:茶々姫)の法名にちなんだ現在の寺名に改称されました。
山門や鐘楼は創建当時からその姿を残し、堂内に掲げられている“芳心”の掛け軸は最後の鳥取藩主(12代目)・池田慶徳(徳川慶徳)の自筆によるもの。
庭園はお寺が現在地に移転した1632年(寛永9年)の作庭とされる江戸時代初期の“回遊式鶴亀蓬莱庭園”。山裾に植わったツツジ・サツキの刈込が晩春にピンクの花を咲かせ見頃を迎えます。
作庭を手掛けた遠州流の茶人・山本宗林は父・山本宗賢がかの小堀遠州の家人だったとされ、父子で藩主・池田家に重用。久松山麓には5つの庭園を作庭したと言われ、この芳心寺や先に紹介した『鳥取東照宮』の庭園のほか現在『鳥取県知事公邸』となっている東館池田家の御庭、そして国名勝の『観音院庭園』も?と推測されています。
吉兆を呼ぶ“鶴亀”を表した庭園の中で、手前の池にせり出した亀はついこの2021年に地元鳥取の作庭家・青木清輝さんにより修復/改修されたもの(きっかけはイノシシ被害)。
お寺の案内に載っている修復前の写真と見比べると割と石組の並びが変わっているのですが、この様に庭園が整備され、地元新聞にも載ったことで「檀家さんが喜んでくれた」とご住職がおっしゃられていたのがとても印象的で。
“文化財であること(文化財になること)”も一つの価値だけれど、そうじゃなくても“自分ごとに感じられる場(庭園)であるかどうか”ってとても大切なことだよなぁ、と思った。地元の方やお参りされる人々に好まれ続けてほしい庭園。
(2021年9月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
JR山陰本線 鳥取駅より徒歩25分弱(鳥取駅にレンタサイクルあり)
鳥取駅から100円循環バス「くる梨」利用「樗谿公園やまびこ館前」バス停下車 徒歩3分
〒680-0014 鳥取県鳥取市馬場町6 MAP