“新日本三景”耶馬溪の観光と地域発展に尽力した“馬溪翁”平田吉胤。耶馬溪六十六景の眺望が素晴らしい近代和風建築と国登録文化財庭園。(通常非公開)
平田邸(平田氏庭園)について
【通常非公開/イベント等で特別公開あり】
「平田邸」(ひらたてい)は九州を代表する絶景の一つで国指定名勝の『耶馬溪』地域にある国登録有形文化財の近代和風建築。その庭園も『平田氏庭園』として国登録記念物(名勝地関係)に選定されています。日本遺産『やばけい遊覧~大地に描いた山水絵巻の道をゆく~』の構成文化財。
2023年4月に初めて訪れました(通常非公開)。また、平田邸の文化財としての活用主体である「平田邸活用推進協議会」事務局・台亮嗣さんへのインタビューが庭園専門誌『庭NIWA』vol.252に掲載されます。当サイトでの記事はそれとは別に、建築・庭園そのものの紹介。
大分県中津市の中心部から南へ10数km。奇石が立ち並ぶその渓谷を『耶馬渓』と名付けたのは、江戸時代後期を代表する文学者・頼山陽。その後は九州の代表的な景勝地の一つとしてその名が広まり、大正時代には国指定名勝となっただけでなく“日本新三景”にも選定。紅葉の名所、日本三大奇勝、そして国指定重要文化財の日本最長の石造アーチ橋“耶馬渓橋”などで知られます。
そんな耶馬溪で『馬溪翁』と地域の人々に呼ばれた人物・平田吉胤。平田家は当地(平田集落)の大庄屋・地主で、吉胤自身は養子だったものの大正時代に耶馬渓鉄道を開業するなど地域の近代化や町おこし、観光開発に尽力。
文化財保護法の前身である「史蹟名勝天然紀念物保存法」の制定に関わり耶馬溪にも視察に訪れた文人・国府犀東は吉胤の死後に設けられた「平田吉胤頌徳碑」に「耶馬溪が国指定名勝となったのは吉胤のおかげ」と記されたそう。
そんな平田吉胤の自宅兼迎賓館として造営された「平田邸」。木造三階建の主屋が大迫力!なこの邸宅、主屋の1〜2階部は明治時代中期に完成。その後、大正時代に3階部分と、茶室や書院を備えた「新座敷」と庭園が増築されました。
特筆すべきは主屋3階。「登れる木造三階建」そのものも現代においては貴重ですが、270度に開けた窓からは耶馬渓六十六景のうち「立留りの景」「平田城跡の景」「木ノ子岳の景」が一望できます。この三階からの“生きた屏風絵”のような眺め・景観も“視点場の一つ”として“国登録名勝の庭園”の範囲に含まれているのが平田邸ならではのポイント。
日田の『咸宜園』が生んだ広瀬淡窓一門による書画がずらりと並ぶ1階座敷を経て、茶室〜瀟洒な欄間が素敵な新座敷へ。(玄関の床にカラータイルを敷き詰めているデザインが近代建築らしさ)
新座敷を囲むように、地元の戸原石をふんだんに用いた回遊式枯山水庭園があります。ここでも主役はやはり耶馬溪の山々の借景。そのビューポイントを意図した大きな踏み分け石や、その景色を遮らない背の低い化け燈籠、そして大きな蘇鉄がこの庭園のオリジナリティが表現されています。
2016年に建築が、そして2019年秋に庭園が国登録文化財に。2019年に「平田邸活用推進協議会」が設立され、一旦コロナ禍を挟んだものの、今後徐々に活動・活用の幅を広げていく最中(現在会員募集中)。国の登録文化財になったと言っても、地方の文化財庭園を取り巻く環境も厳しい。今後応援したい庭園。
また平田邸のある平田集落には城井八幡社や平田城跡、洋風のレトロな『旧平田郵便局』や馬溪橋などの歴史スポットが耶馬溪の景観とともに残されています。ぜひ耶馬溪とともに立ち寄ってみて。(サイクリングがオススメ!)
(2023年4月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)