姫路で庭屋一如を味わうならここ!大正時代の近代和風建築の回遊式庭園・文化財茶室と、安藤忠雄建築の水景庭園。
姫路文学館 望景亭(旧濱本家住宅)庭園について
「姫路文学館」(ひめじんぶんがくかん)は世界遺産『姫路城』の外堀の西側にある、安藤忠雄建築の文学館。1991年(平成3年)開館。
文学館の関連施設『望景亭』は大正時代に建てられた近代和風建築で、『姫路文学館望景亭(旧濱本家住宅)』として棟門・和室・茶室・廊下・石垣が国登録有形文化財。皇族・賀陽宮恒憲殿下が居住したことも。
姫路の日本庭園と言えば、姫路城西御屋敷跡庭園『好古園』。…これだけ立派なお城があり、藩主の館にも大きな庭園があった…と考えるともっと城下町ルーツの庭園があってもいいはず。
そう思ってリサーチして、2021年春にいくつかの庭園を初めて鑑賞したので紹介。(*紹介する以外にも非公開の国登録名勝や、同じく非公開寺院の庭園などがあったりはする)
この望景亭は城下町/武家屋敷ルーツではなく、幕末~近代に播州・姫路を代表する実業家・濱本家の別邸として1916年(大正5年)~1929年(昭和4年)にかけて建立されたもの。
江戸時代から当地の大地主で、姫路藩御用達だった濱本家。明治維新後は姫路銀行/姫路商業銀行/姫路瓦斯/播磨紡績などを創立・経営した姫路を代表する実業家に成長。
濱本八治郎別邸の後は陸軍の隊長として姫路に着任された賀陽宮恒憲王が居住したり、戦後のGHQの高官の住まいを経て、1958年(昭和33年)から姫路市所有に。「男山市民寮」や結婚式場「瑞泉閣」として市民に利用されました。
しかし姫路文学館の建築に伴い、建物は元の1/3程度に縮小。唐破風の玄関や棟門も縮小の際に別の場所に移築されたもので、“望景亭”の名も元からの名前ではなく1991年の再開館の際に裏千家十五世・千宗室による命名。
今残っているエリアだけでも決して狭くないのに、もっともっと広かったのか…!主要建物で言うと現存するのは和室と茶室だけだけど、最盛期には13棟あったとか…。その時代にも訪れてみたかったな…と思うけど、現存するエリアだけでも濱本家の栄華を感じられます。建物内も催しがなければ見学可能。(無料)
池泉庭園“月見の池”を見下ろす縣造の“和室”は40畳の大広間。床の間の彫の意匠もかっこいい瀟洒な書院造り建築。“白鷺城”にちなんだ照明もおしゃれ!(これは現代のものかもしれないけど)
茶室“雄徳庵”も同じように庭園を見下ろすように建てられ、とても明るく開放的。
そして庭園について。茶室や和室の目の前にあるのが立派なサルスベリの流し枝。モミジじゃなくてサルスベリで主たる景色を作っている庭園って珍しい気がするな~夏の別荘だったのかな。
建物から見下ろす渓谷のような庭園は、庭園の石組と建物の基礎部分の乱積の組合せがかっこいい。石橋を渡り飛び石を辿っていくと腰掛待合も現存。久邇宮邦彦王や『東京都庭園美術館』の朝香宮鳩彦王といった賀陽宮殿下以外の皇族も訪れていた往時には、この庭園でお茶会なども開かれていたのかもしれない。
庭園の最奥には芝生広場が。ここからの和室の存在感も『桂離宮』の書院みたいで素晴らしい。この面だけ煉瓦積みがあったり和洋折衷になっている所も。“阪神間モダニズム”からは距離が離れていて別カルチャーだけど、その番外編的な名近代和風建築。
なお玄関から近い洋風の応接間は平成の開館の際に増築されたものなので、その前の枯山水庭園も同じく現代のものと思います。
最後に『姫路文学館』側のエリアについても。他に安藤忠雄が手掛けた『陶板名画の庭』や『四国村ギャラリー』、『淡路夢舞台 百段苑』と同じく斜面を活かした水景庭園で、東側には姫路城の天守閣ものぞめます(かつては邸宅からものぞめたんだろうな…)。
姫路で“庭屋一如”を味わうならここ!
(2021年4月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
山陽新幹線・各線 姫路駅より約2km(徒歩25分/駅前にシェアサイクルあり)
姫路駅より路線バス「市之橋文学館前」バス停下車 徒歩5分
〒670-0021 兵庫県姫路市山野井町84 MAP