平泉寺白山神社

Heisenji Hakusan-jinja Shrine, Katsuyama, Fukui

京都・西芳寺と並び称される一面の苔が美しい“苔寺”は、奈良時代から1300年続く信仰の地。国指定史跡。

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平泉寺白山について

「平泉寺白山神社」(へいせんじはくさんじんじゃ)は1300年前、奈良時代のはじめに建立された「平泉寺」を前身とする神社。通称『白山平泉寺』。「白山平泉寺旧境内」の名称でとなっています。

2020年10月に初めて訪れました!お目当ては境内にあるの庭園『旧玄成院庭園』でしたが、京都の『西芳寺』と並び称される“苔寺”――という評判通り苔に覆われた境内全体が本当に美しく、長く続く参道に石畳・天まで伸びるような杉木立…ととても幽玄で素晴らしい空間だった。
以降は歴史の話ばかりになるけど、【日本屈指の苔の名所】がまだまだあるなあ…と思わされたし、最高に癒される空間です。

平泉寺は717年(養老元年)に泰澄大師によって開かれました。これは石川県の白山信仰の寺院(であり国指定名勝庭園のある)『那谷寺』と全く同じで、平泉寺は白山への越前側の登山口に開かれた、まさに僧侶や山伏たちの白山信仰の拠点となった寺院。

源平時代には木曽義仲が戦勝祈願をしたり、京から逃れた源義経弁慶が立ち寄るなど武家も信仰。戦国時代には越前国の大名となった朝倉氏とも関係性を築き、最盛期には48の社・36のお堂・6000もの坊があり、8,000人もの僧兵を有する武力を持つ一大宗教都市へ発展。

しかし1574年に一向一揆との戦いで敗れ境内をすべて焼失(なお室町時代中頃にも一度焼失している)。その約10年後の1583年に、羽柴秀吉の支援の下、顕海が再興。その境内は全盛期の1/10程度となり、現在も塔頭として残るのはその名を冠した「顕海寺」のみ。なお、1583年は秀吉が賤ヶ岳の戦いで柴田勝家を破った年。

かつては神仏習合で江戸時代中期作の“権現造”の珍しい鳥居がその面影を感じさせますが、明治時代の神仏分離令に際して寺院としての「平泉寺」はに。なので現在は正式には「白山神社」なのだけど、あたかも寺院のような「白山平泉寺」という通称が根付いているのはこの地での歴史の長さから来るものなんだろうな。

長い参道の途中にある“御手洗池”は平泉寺の名前の由来となっている、泰澄大師ゆかりのスポット。石段を登った先、現在残る拝殿・本社は江戸時代の建造物で、そのうち本社は12代目福井藩主・松平重富によって1795年(寛政7年)に再建されたもの。両隣の別山社・大汝社もそうなのかな。

現在残る境内・参道だけでも広く見ごたえがあるけれど…実際には現在『勝山城博物館』があるあたりから約1km、1,000年前に作られたという石畳の参道が残ります。全盛期にはその参道の左右にも建物が軒を連ねていたんだろう。この参道だけは残り続けていたけど、その周囲の遺構について発掘がはじまったのはつい最近、平成年代に入ってからなんだとか…平成年代で発掘が終わったのは200ヘクタール中2ヘクタール。先は長い。

駅に熊出没注意の張り紙が複数あるような季節だったので、人気が薄くなるエリアまで足を踏み入れるのはちょっとリスク高いかなと思って今回は散策しなかったけど…いつかその歴史ある道を歩いてみたい。

(2020年10月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

えちぜん鉄道勝山永平寺線 勝山駅より5km強(駅にレンタサイクルあり。超登り坂なのでケチらず電動を!)
【土日祝のみ】勝山駅よりコミュニティバス「白山平泉寺」バス停下車 徒歩10分⇨こちら

〒911-0822 福井県勝山市平泉寺町平泉寺56-63 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は1,900以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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