これぞ庭屋一如。建築家・堀口捨己の手掛けた昭和の日本を代表する和風建築には、日本庭園の存在も欠かせない。
八勝館庭園について
「八勝館」(はっしょうかん)は大正時代創業の名古屋を代表する料亭。その中の部屋の一つ“御幸の間”は建築家・堀口捨己の設計によるもので、完成翌年に日本建築学会賞を受賞、『DOCOMOMO Japan 日本の近代建築100選』の最初の20選に名を連ねた昭和を代表する和風建築です。
“御幸の間”を絶賛した前編はこちら。
尾張徳川家の祈願寺として繁栄した『八事山興正寺』の門前にある八勝館は明治時代に材木商・柴田孫助の別荘として建造されました。その後1925年(大正14年)に料理旅館として創業。
明治以前からこの地は丘陵地であり、三河、遠州、伊勢、志摩、飛騨など八州、または八方を望む景勝地だったとして“八勝館”と名付けられた…という説も。(諸説あるらしいです)
日本庭園というより建物が有名な場所だけれど、素晴らしい庭園があってこその名建築でもあり…建物あってこその庭園でもある。約4,000坪の敷地全体が回遊式庭園のようになっており、その作庭は明治時代の別荘地だった頃にはじまったそう。
堀口捨己は日本庭園協会で理事もつとめた庭園研究家でもあり、氏が作庭を手掛けた東京の『菊池氏茶室庭園』は国登録の文化財になっています(*非公開)。なので当然ながら八勝館の庭園(特に御幸の間や、後述の桜の間の周辺)の意向は反映されているのではないか。
…と思うのだけれど、(ちょっと古い)本や雑誌を読んでも建物の解説と比べて庭園はノータッチなので実際はそこまで意見を述べていないのかもしれないけどーーだとしたら誰がこの庭園をプロデュースしたんだろな。
昭和年代の本を見ると御幸の間から“田舎家”側の景観がもっと木々が鬱蒼とした感じで。お手入れとしてはかなり手が加わっているんだろうし、現在も管理に入っておられる愛知の三五郎園さんの工事実績に「八勝館庭園」とあるので一部は現在になって作庭されているところもあるかもしれないし…
さらに、タレント・ダレノガレ明美さんの父が作庭に関わっていたというツイートが(笑)なので全部が全部、明治や昭和中頃のものではないんだろう、とは思う。
訂正兼追記:現在の八勝館の庭園作庭はダレノガレ明美さんの父親こと、福住庭園(旧・株式会社フクズミ)の福住豊さんが手掛けられたそう。福住豊さんは飯田十基の下で学び、白洲正子の旧宅『武相荘』の庭園も手掛けられているとのこと。マジか、武相荘も行きたいと思っている場所!
■桜の間(6〜10枚目)
今回の見学会で食事の場となった桜の間は“御幸の間”から8年後、1958年(昭和33年)に堀口捨己により増築されたもの。茅葺屋根の建築の内部がこんなにモダンだとは。
格子ルーバーや網代天井などいくつかのデザインが組み合わされた天井が大きな特徴の一つ。これは国宝茶室“妙喜庵待庵”のオマージュではないかと評され、また三角形の袋戸棚は京都『修学院離宮』の影響ではないか、とも。この中で“御幸の間”と同じく南方風の柄が取り入れられている。この日は堀口捨己自筆の掛け軸が飾られていました。
《たかくおもひ きよく生きなむ ねがいひぞ すきびとみちを えらびたりしか》
■桜の間の外〜渡廊下(11〜13枚目)
桜の間から御幸の間や菊の間へと至る渡廊下なども堀口捨己設計によるもの。なのでそこから見下ろす、斜面を活かした石組の中庭も監修されてるんじゃないかな〜と思ったり…。
■菊の間〜菊の間庭園(14〜18枚目)
菊の間も昭和33年、堀口捨己によって手掛けられた(改築された)部屋。残念ながら今回の見学会では公開対象ではなかったのですが、公式サイトで写真見るとこちらも御幸の間・桜の間に負けず劣らずめちゃくちゃかっこいい。
で!ここに至るまでの庭園がむちゃくちゃ良くって…斜面を活かした景観、苔の美しさ、庭石のカラフルさ、石畳の階段。部屋前に伽藍石が配されているところ等からも近代に手掛けられた庭園なんだと思う。
護岸の雰囲気や、橋の脇に“音聞橋”という石碑が立ってるところからは…昔は水が流れていたのではないかと思うような雰囲気なのだけど、現在は枯流になっています。
ところでこの斜面にある流れ。上段部に土留めがあって突然終わり、その先にはイオン八事店の大きな駐車場がある。八勝館の敷地はかつてはもっと広く、この斜面の最上部にはあずまやがあり、その場所こそが“八州をのぞめる場所”だった。 現在は敷地の一部をイオンに貸していたり、2枚目の檜皮葺の門の先に見えている通り敷地内には高層マンションも立っている。
中には「景観が…」みたいなことが引っかかってしまう人が居るかもなあというか全盛期はもっとすごかったというのは間違いないのだけれど。ある意味これらの家賃収入によって、今回のような突然の不景気でも収入が断たれずに済んでいるんじゃないかと思う。
文化財も名建築も結局お金がなければ立ち行かない。“景観”という言葉も大事だけれど後世に残すためには収入のバランスも大事よね…。
■流れ〜田舎家(21〜28枚目)
庭園中央に鎮座する茅葺屋根の“田舎家”は江戸時代初期に甲賀に建てられた古民家を昭和2年に移築させたもの。現在では離れ座敷の一つとして人気があるそう。
敷地上部からはじまり、この田舎家の前をカーブしてゆく“流れ”。銘石による滝石組を経て、この水が最終的に“御幸の間”の庭園に至っています。
八勝館がすごいなと思うのは、先に書いた“現代的な建築”がちょうど目隠しされる程の高さに、紅葉を中心とした樹木が整えられていて。ちゃんとこの空間に没入できるようになっているのがすごい。
実のところこの日は八勝館の夏季休業明けからすぐ「雑草や落葉もあって、苔も本当はもっと青いのですが…」と。休み前だったらこれ以上にお手入れ行き届いてるって言うの…!マジかー。
今回の見学会の金額は決して高くはない、それ以上の体験・空間をさせてもらった気分。素晴らしい体験にはそれ相応の価値を。…そしてまた来年も行きたいし、いつか菊の間も見たいっすなー!
(2020年8月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)