
開港五港・函館に明治時代に造園された“北海道初の洋式公園”は国登録名勝や日本の歴史公園100選に選定。近代に作庭の日本庭園“北海池”も。
函館公園・日本庭園“北海池”について
「函館公園」(はこだてこうえん)は北海道函館市のシンボル「函館山」の麓に明治時代初期に開園した都市公園。近代に造園された都市公園の代表的な事例として、国登録文化財(国登録記念物・名勝地関係)や日本の歴史公園100選、北の造園遺産などに選定。
国の文化財に登録されている“園地”だけど、これまで“日本庭園”的な空間は無いと思い込み訪れていませんでした…が、ありました(園内北西部に位置する“北海池”〜“ひょうたん池”)。そしてそれもどうやら近代の日本庭園。
その歴史について。函館公園の開園は1879年(明治12年)(※原型が出来たのは1874年)で、日本の都市公園の始まりの制度「太政官布達」の6年後のこと。その特色は初期の都市公園の中でも“国際都市ならでは”のデザインは背景を持つこと。
知っての通り幕末〜明治時代に“開港五港”の一つとなり、国際的な港町が形成されていった函館。この公園の計画・造園にあたっても日本人だけでなく函館駐在の英国領事:リチャード・ユースデンが市民に対し呼び掛け、デザイン的にも“北海道初の洋式公園”として開園。城郭や神社仏閣の旧境内地が都市公園に置き換わる例が多い中で(水戸『偕楽園』、『奈良公園』、新潟『白山公園』とか)、ゼロベースで開かれた近代公園でもあります。
先述のユースデンの呼び掛けの元、函館の豪商・渡辺熊四郎らが資金や樹木、石材などを提供。浅田清次郎を設計・施工の責任者(監督)として、開拓使や市民が自ら働き手となって計48,000平方メートルの広大な都市公園が造園。市民参加で造園されたことから“日本初のパートナーシップ型都市公園”とも評されます。
更に開園と同時に建築された洋風建築『開拓使函館仮博物場(旧函館博物館1号)』は日本で現存する最古の洋風木造建築の博物館とされ、その5年後に建築された『旧函館博物館2号』と共に北海道指定有形文化財。更に現役のミニ遊園地「こどものくに」にある観覧車(「函館公園こどものくに空中観覧車」)も国内で現存する最古の観覧車!と言われ、国登録有形文化財。公園が歴史あって文化財…というだけじゃない!
公園の北東部に、公園の中心と言える「中央噴水広場」があります(噴水自体は昭和年代に整備されたもの)。先で“北海道初の洋式公園”と書いたけれど、このエリアからの函館山の借景や築山「明治山」、亀島の様な石組の中のマツや刈り込みの寄せ植え、石橋「白川橋」からの流れ〜滝+紅葉林の眺め…この辺の雰囲気や見せ方は「日本庭園」。石橋の先に現れる旧函館博物館2号館の前のマツも巨大な盆栽の様でめちゃくちゃ立派!(近代の豪邸にある車寄せのよう)
園内北西部に“北海池”〜“ひょうたん池”と名付けられた池泉回遊式庭園があります。自然の斜面を築山として活かしつつ下段部にその名の通り北海道の形を表した“北海池”(手前の歪曲した所が渡島半島)、上段部に“ひょうたん池”があり、ひょうたん池から北海池へと滝で水を落とす構成。北海池の中央にもちょっとした噴水(青銅の龍)が設置されています。
この庭園、護岸が修理されて少し新しくなっているので「公園の歴史の中では新しいのかな?」と思ったけど…昭和の戦前の発刊とされている『北海道随一の大港市 函館名勝十六景』(札幌市中央図書館)でもその様子が収められている。てことはそれ以前、近代に作庭さてた日本庭園。函館の国指定文化財庭園『香雪園』の姿を思い起こしてみると——ちょっと作風も似ている感じがする?(弘前っぽい?)
最後に。今回は新緑の季節に訪れたけれど、函館公園は園内に桜が約400本ほど植った函館の桜の名所として有名。これも明治時代に函館の商人・逸見小右衛門が《函館公園を奈良・吉野山のようにしたい》と植栽を始めたもの(当初の植栽は植え替わっているそうですが)。函館観光の際には『五稜郭公園』のみならず、函館公園にも足を伸ばしてみて。
(2025年5月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
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