吸江庵跡(吸江寺)Gyukoji Temple (Gyukoan ruins), Kochi

夢窓疎石が鎌倉時代に開いた“吸江庵”を前身とし、高知城主・山内一豊にも庇護された寺院。高知県指定史跡。

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吸江庵跡(吸江寺)について

「吸江寺」(ぎゅうこうじ)は鎌倉時代に名僧/作庭家・夢窓国師こと夢窓疎石により開かれた『吸江庵』をルーツとする寺院。臨済宗妙心寺派の禅寺で『吸江禅寺』とも表記されます。その境内が「吸江庵跡」(ぎゅうこうあんあと)として高知県指定史跡。

世界遺産『天龍寺庭園』『西芳寺庭園』の作者として知られる夢窓疎石。2021年年始に4年ぶりに氏が作庭と伝わる国指定名勝『竹林寺庭園』を訪れた足で、五台山の麓にある氏の旧跡・吸江庵跡にも立ち寄りました。

創建は鎌倉時代末期の1318年(文保2年)、夢窓疎石43歳の時(京都で後醍醐天皇や将軍・足利尊氏らに重用される以前の時代)。鎌倉幕府執権・北条高時の母、覚海尼の招きを避け土佐国へと渡り、この地に庵を結びました。
なお元々はこの場所も竹林寺の境内地だったそうで、『竹林寺庭園』が夢窓疎石作庭と伝わってきたのはこの為なんだろうなあと思う。

夢窓疎石は2年で土佐を離れますが、室町時代初期(南北朝時代)には朝廷・将軍家に厚く信頼される存在となり、土佐国守護・細川氏の支援もありこの吸江庵も土佐の有力寺院に。
この地で疎石に学んだ絶海中津、義堂周信も室町幕府政権下の“”で活躍する高僧となりました。

戦国時代には長宗我部氏の統制下に置かれるものの荒廃。江戸時代には高知城主となった大名・山内一豊の義子・湘南和尚が入り再興され寺名も“吸江寺”と改められました。
明治維新の後に廃仏毀釈で一時廃寺になるも再興され現在へと至ります。昭和後期には境内に「高知平和パゴダ」も建立。

気になるのは夢窓疎石の頃の遺構がどれだけ残るかというところ。市と県の文化財情報を見比べると“創建時の遺構は確認されていない”とも“石段、石垣は創建当時の遺構”ともある…。

高知市教育委員会に1987年に発行された『高知市文化財調査報告書8:吸江庵跡発掘調査及び新指定高知市保護有形文化財』を見ていると、ざっくり言うと

●吸江庵の遺構は確認されていない

●江戸時代に山内一豊の支援により再興された際に整地されたと考えられる

的なことが記されている。現在の吸江寺の境内で見られる池泉庭園や斜面の石組跡は江戸時代のものかな。その傍らには『庭聖 夢窓 庵居蹟』の碑が建ちます。

その他境内には大きなソテツが温暖な高知の地を感じさせる、現代の作庭と思われる枯山水庭園も。夢窓疎石を目的に五台山を訪れるならば、ぜひ立ち寄ってほしい旧跡です。

(2021年1月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

JR土讃線 高知駅より約4km(駅前にレンタサイクルあり)
高知市街地より路線バス「護国神社」バス停下車 徒歩2分
とさでん交通伊野線 葛島橋東詰駅より徒歩15分

〒781-8126 高知県高知市吸江122 MAP