行基寺庭園Gyokiji Temple Garden, Kaizu, Gifu

濃尾平野を借景として見下ろす絶景庭園。尾張藩主や会津藩主・松平容保も輩出した美濃高須藩・松平家の“藩主御殿”的な書院建築も◎。

庭園ギャラリーGarden Photo Gallery

行基寺庭園について

「臥龍山 行基寺」(ぎょうきじ)は岐阜県の最南端に位置する海津市の西方、養老山地の中腹に位置する寺院。尾張藩の支藩、美濃高須藩の藩主・松平家ゆかりの寺院(菩提寺)で、江戸時代に作庭されたと伝わる濃尾平野の眺望が絶景の庭園があります。海津市指定名勝。(*なお庭園が名勝(文化財)なのではなく、境内からの風景を含めたお寺そのものが文化財。)

その存在はたぶん当サイトを始めた頃から知っていたものの、養老鉄道沿線を行動する機会がずっと無かった&アクセスが決して良いとは言えない…(最寄駅から徒歩40分)という点で訪れられずにいた行基寺。2022年6月に初めて訪れました!
交通手段に関しては養老鉄道の幾つかの駅で展開されているレンタサイクルを利用…したものの、遠目に山の中腹に建つお寺の姿が見えた時の「あそこまで登んの…?」という絶望感。笑。普通は車だよね…。

——それでも頑張って登った甲斐のある、「日本100名園」に入るクラスの素晴らしい庭園が出迎えてくれた!

その名の通り全国各地に名寺を残している“行基菩薩”ゆかりの寺院で、約1300年前の奈良時代の744年(天平16年)に聖武天皇の勅願を得て創建。一説では行基が82歳の時にこの地で最後を迎えられたと言われ、その事について記した南北朝時代の板碑が岐阜県の重要文化財に指定。

美濃国・尾張国・伊勢国の三国の守護霊場山として七堂伽藍も整えられた行基寺ですが、南北朝時代の1336年(延元元年)に戦火で全山を焼失。その後も地域の人々や領主による復興と荒廃を経ながら、現在の寺観が整えられていったのは江戸時代中期に高須藩藩主に松平家が入ってから。

1700年(元禄13年)に尾張徳川家2代目・徳川光友の次男の松平義行が高須藩主となった際に行基寺を菩提寺として定め伽藍を再建。山の上に築かれた城郭造りの石垣はその際に整えられたもので1705年(宝永2年)に竣工。なお現在の山門(三門)や本堂は江戸時代後期の建築。(山門=1820年/本堂=1832年)

高須藩そのものは小さな藩でしたが、“徳川御三家”筆頭の尾張徳川家の血縁という立場から徳川将軍家の中では御三家に次ぐ家柄で大大名クラスの扱いだったとか。尾張藩主・徳川慶勝/徳川茂徳や幕末に名を馳せた会津藩主・松平容保もこの高須藩・松平家の出身で、境内にある高須藩主歴代墓は岐阜県指定史跡(*非公開)。

なおお寺が再建されて以降、明治維新までの約160年間は民衆の登山・参拝は禁じられていたとか。
寺院でありながらも藩主・松平家の別荘のようなプライベートスペース(さながら藩主御殿)だった。そうと知ると、(三門や本堂の佇まい以上に)庭園の絶景やそれを眺める書院の意匠が凝ってる・優れまくっていることが理解できてくる…。そのまま残されている松平家の調度品も多いとか。

有料拝観エリアで“藩主の間”のある書院建築(大書院・小書院)と濃尾平野を借景として眺める枯山水庭園(主庭)、そして主庭とは別の苔が美しく滝の流れ落ちる庭園が見られます。
再興された江戸時代の宝永年間に緑山和尚により作庭され、その後昭和年代に修復されたこの庭園は回廊からの景色の移り変わりを楽しむ“回廊式庭園”。

主庭は借景はもちろん美しいけれど、ツツジ・サツキの刈込が花を咲かせる5〜6月初旬は特に庭園がカラフルに彩られる(今回は若干遅かった…)。108個ある飛び石は書院同士を繋いでいて、お茶事の時とかの露地にもなっていたのかなという雰囲気。3つ4つと並ぶ手水鉢もそれぞれ違うデザインで洒落てる。

そして書院西側(本堂側)にある苔庭は苔で表された大海の中に船や島が浮かぶ姿を表現した庭園。自然の岩盤から流れ落ちる滝も美しい。

別名は“お月見の寺”“月見寺”で、例年中秋の名月には観月会(夜間拝観)がとり行われ、庭園越しに濃尾平野から昇る月を眺めることができるそう(2020年以降は未実施)。さぞかし美しいだろうなあ…近辺の方でまだという方はぜひ来年以降に訪れて欲しい!

(2022年6月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

養老鉄道 美濃山崎駅より約3km(徒歩40分)
養老鉄道 駒野駅より約4km(駅にレンタサイクルあり。ただしラスト1kmは漕いで登るのは難しい急激な上り坂。帰りの下り坂も苔で滑りやすいのでオススメはできない。現実的には自家用車一択…)

〒503-0414 岐阜県海津市南濃町上野河戸1024-1 MAP