京都の世界遺産『龍安寺』を開いた妙心寺の高僧・義天玄承禅師が修行先で作庭し、“龍安寺石庭”のモデルとなった?美しい枯山水庭園“臥竜石庭”。
愚渓寺庭園“臥竜石庭”について
「大智山 愚溪寺」(だいちさんぐけいじ)は中山道六十九次49番目の宿場町“御嶽宿”のはずれにある、臨済宗妙心寺派の当地の代表的な禅寺。室町時代に京都の世界遺産『龍安寺』を開いた高僧・義天玄承禅師により創建されたと伝わり、その枯山水庭園“臥竜石庭”は『龍安寺庭園“石庭”』のモデルとも言われます。
2022年初夏、初めて名鉄広見線に乗って可児市〜御嵩町を訪れました。源氏・木曽義仲の末裔の庭園『八十一隣 春秋園』ともう一つの目的はこちら。愚溪寺は数年間ずっと来たかった…!
何度か場所や名前を変えている愚溪寺。その前身は御嵩に1409年(応永16年)に開かれた草庵『無著庵』で、1428年(応永32年)または1432年(応永35年)に義天玄承が場所を移し『愚溪庵』に。後に京都・妙心寺5世住職になる義天玄承は当時は尾張国犬山の『瑞泉寺』に修行で訪れていました。
後に美濃国守護代・斎藤利永や守護職・土岐政房らによって庇護され隆興、寺名は「愚渓寺」に改められ“東美濃の名刹”として名を馳せました。
御嶽宿のはずれの小高い丘の現在地に移ったのは江戸時代後期の天保年間(1830年~1844年)で、その際に建立された二重塔(多宝塔)が御嵩町指定文化財。棟梁は野村作十郎。また17,000平方メートルの広大な境内にある宝塚古墳は岐阜県指定史跡となっています。パッと見で新しい本堂は平成年代、2007年に新築されたもの。
なので現在見られる庭園は“龍安寺のモデルになった当初の姿”では無いのですが、義天玄承が“臥竜”と名付けた石庭を江戸時代後期に移転の際に「忠実に再現した」庭園。
本堂の手前には白砂が敷かれ、美しい砂紋の中に3つの石と松が配されている(龍が横たわる“臥龍”を現在はマツと刈込で表現されているけど、義天玄承の庭園は複数の庭石で表現されていたとか)。
白砂の先には穏やかな白砂とは対照的な多数の庭石による小さな築山が。見た目は小さな築山だけど険しい山々を表現したものなんだろう(中に入ることはできないけど、中には回遊式の園路も見える)。
これは江戸時代かそれ以降の創作なのだろうけど、四季に花を咲かせる植栽や美しい“御嵩富士”の借景が庭園の姿をより彩ってる!
境内の園路では「生」と型取った刈り込みや(こういうの初めて見た)、多くの石塔に石仏、そして二重塔の前にも池泉庭園が。東海地方屈指の“禅の庭”、ぜひ訪れてみて。
(2022年6月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)