“松江藩主松平家墓所”として国指定文化財(国指定史跡)の藩主菩提寺。千利休や松平不昧公ゆかりの茶室・露地庭園や出雲流庭園も。
月照寺庭園について
「歓喜山 月照寺」(げっしょうじ)は国宝・現存十二天守『松江城』の西方にある松江藩主・松平家の菩提寺。松江藩松平家の初代・松平直政から九代・松平斎貴までの墓所が残り、「松江藩主松平家墓所」として国指定史跡、松平直政と松平不昧こと松平治郷の廟所の廟門が島根県指定重要文化財。昭和時代に再建された本堂・書院“高真殿”から眺められる出雲流庭園があります。
2022年5月に1年半ぶりに山陰〜出雲・松江へ。前回見逃していたのが月照寺の庭園。こちらの庭園も素晴らしかった…。なお庭園よりも約3万株の紫陽花の植わった“あじさい寺”“山陰のあじさい寺”として地元では有名。(見頃は太平洋側よりも遅く6月中旬〜)
元は『洞雲寺』という禅寺だった月照寺。堀尾氏、京極氏に次いで藩主となった松平直政(結城秀康の子)が1664年(寛文4年)に母・月照院の霊脾を安置するために浄土宗・長誉上人を迎え復興。その際に現在の月照寺と改称(&浄土宗に改宗)しました。
以来松江藩主・松平家の菩提寺と定められ、九代目までの歴代藩主の墓所が残りますが、(全国各地に大名の立派なお墓はあれど)松平家の墓所もまた一つ一つの霊廟が大きいのがその特徴。中でも初代・松平直政の墓所は一つの庭のように池で囲まれていたり。松平不昧公の廟門は名工と呼ばれた小林如泥による葡萄の透かし彫りが見事な唐門風だったり。
そして六代目・松平宗衍墓所の一角には巨大な亀の石像(寿蔵碑)が。なんとも霊的な雰囲気のあるこの大亀、松江でも暮らした小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の随筆にも「夜に松江の街を徘徊した“月照寺の大亀”」として登場。
立派な墓所が残る一方で、江戸時代にあった本堂は明治時代の廃仏毀釈で取り壊され現在は礎石がその規模を伝えるのみですが、そのスペースを利用して今日には多くのアジサイが植栽されています。
現在の本堂は戦後の1954年(昭和29年)に再建されたもので、受付や書院“高真院”、松平不昧の庵号から命名された茶室“大圓庵”を併設。
庭園は折上格天井の格式高い書院座敷から眺める池泉鑑賞式庭園で、手前に白砂と飛び石が配されたその姿が“出雲流庭園”の趣き。訪れた5月にはサツキの刈込が花を咲かせはじめ、また新緑にノムラモミジとカラフルな庭園だった。
で、主庭園の飛び石は茶室“大圓庵”の露地庭へと繋がっていきます(歩くことはできない)。不昧流茶室の躙口からのぞく織部灯籠と手水鉢は元を辿ると千利休から豊臣秀吉の重臣として有名な武将・福島正則が譲り受けたという言われがある逸品。
福島正則からその部下・大橋茂右衛門に伝わり、後に松江藩主に召し仕えられ筆頭家老となった大橋家から一時は松平不昧公の懇願で松平家の江戸屋敷(大崎園?)へ。明治維新後にその江戸屋敷が廃されて大橋家に返還された後に、この茶室建立に際して月照寺に寄進されました。
この茶室がざっくり“不昧ゆかりの茶室”と言われるのは、この灯籠と手水鉢・名前・デザイン…と色んな要素によるもの。
ちなみに千利休→福島正則→大橋茂右衛門と伝わった茶室として『松江歴史館』の茶室があります。元はこのお茶室とセットだったのかもなあ。
最後に。受付の前にある宝物殿では藩主の菩提寺だからこその松平家ゆかりの武具・書画などの美術品・茶器などの展示が見られます。アジサイの季節以外にもぜひ訪れてみて。
(2022年5月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
JR山陰本線 松江駅より徒歩30分強
JR松江駅より路線バス(レイクライン)「月照寺前」バス停下車 徒歩1分
一畑電車 松江しんじ湖温泉駅より徒歩10分
〒690-0875 島根県松江市外中原町179 MAP