かつては伊達政宗が寄進した国宝茶室も。大阪府指定文化財の庭園は室町時代の京都の芸術家・相阿弥の構想で作庭、茶人・木津聿斎が改修した枯山水。
願泉寺庭園について
【拝観の際はチャイムを鳴らし一声お掛けください】
「日下山 願泉寺」(がんせんじ)はOsaka Metro・大国町駅/JR今宮駅の程近くの大阪の都心部にある浄土真宗の寺院。飛鳥時代の創建という大阪市内では『四天王寺』に次ぐ歴史を持つ古刹で、大阪府指定名勝(大阪府指定文化財)の枯山水庭園が残ります。現在の庭園は茶人・木津聿斎(木津宗詮)が昭和初期に改修した後の姿。かつては伊達政宗が寄進した旧・国宝の建築も。
2022年11月に久々の拝観。テレビ大阪の大阪ローカル情報サイト『大阪てくてく ごきげんさんぽ』の連載でも紹介させていただきました!
■【大阪庭園めぐり!】第2回 大阪都心に残る古庭園「願泉寺庭園」|おさんぽブログ|テレビ大阪 ごきげんさんぽ
今回の取材を通じて正しい情報を得られた部分が幾つかあるので改めてご紹介。以前から訂正した主な点としては、自治体のサイトにあった相阿弥(世界遺産『慈照寺(銀閣寺)庭園』の作庭者にも名を連ねる室町時代の芸術家)の作庭ではない…という点と、一方で茶人・木津聿斎に大変ゆかりがあるという点!!ここでは木津聿斎のことを厚めに。
603年(推古天皇11年)、遣隋使で有名な小野妹子の八男多嘉麿義持が聖徳太子から阿弥陀如来・薬師如来を賜り欽明天皇行宮の地に創建。当初の名前は『無量寿院』で、現在地から数百メートル異なる場所にあったそう。
室町時代半ばに応仁の乱により焼失(大坂にまで影響が及んでたのか…!)、1507年(永正4年)に現在地に再建されました。また室町時代に天台宗から現在の浄土真宗に改宗。やがて本願寺から“願”の字をもらい安土桃山時代に現在の寺名に。
桃山時代には政治の中心だった大坂。諸国大名もこの町に集まる中で、仙台藩主・伊達政宗は願泉寺住職の定龍に茶礼を学びました。この定龍は千利休やその師・武野紹鷗(2人とも堺の出身)とも仲が良かったとか。
1615年、「大阪夏の陣」で大坂城が落城して仙台に帰ることになった伊達政宗は願泉寺に客殿“蔽芾堂”と茶室“泰慶堂”を寄贈。昭和初めには国宝に指定されました。
江戸時代の間には紀州徳川家をはじめ加賀藩・彦根藩など大大名の陣屋にもなった願泉寺の堂宇…惜しくも1945年(昭和20年)に第二次世界大戦の空襲により焼失。現在の本堂などは戦後の再建、庭園の一角にある茶室“相應庵”は平成年代に整備(移築)されたもの。
その中でも空襲の被害は最小限で、江戸時代以前の姿を現代まで残しているのが大阪府指定文化財の庭園。枯滝石組が目を見張るこの庭園は江戸時代中期の正徳年間、京都の庭師・正阿弥により作庭されました。
自治体のサイトには室町時代の京都を代表するアーティスト・相阿弥の作庭…とありますが、寺伝では『正阿弥が相阿弥の構想を下に作庭した』とのこと。その情報を少し端折って「相阿弥の作庭」になったのかも…(一方で、願泉寺が現在地に移転した1507年は相阿弥がバリバリ活躍してる時期でもある)。
そして新たに分かったのが、現在の“池中にコンクリートの流れがある”庭園の姿は茶人・木津聿斎(三代目木津宗詮)が昭和初期に改修したものということと、初代木津宗詮は願泉寺の住職だったということ!
木津聿斎は同じ大阪の『四天王寺本坊庭園』や『慶沢園』をはじめ各地で(当時の有力者に関連した)庭園や茶室を残されている人物ですが、そのルーツがこのお寺さんだったとは…。
江戸時代後期に願泉寺36世住職となった降龍=初代木津宗詮。文化の道に没頭するあまり自ら寺務職から離れ茶人の道へ。学んだのは武者小路千家ですが、当時の代表的な大名茶人・松平不昧の寵遇を受けたとか。そこの繋がりもめちゃくちゃ面白い。(「木津」姓もかつて願泉寺のあった木津川や山号だった「木津山」から取られているもの。)
そして木津聿斎が改修した現在の庭園。相阿弥が京都・滋賀に残している庭園の作風を考えると当初は池泉庭園だったのだろうし、現代的に思えるコンクリートの“流れ”は当時も賛否両論あったとお寺にも伝わるそうなのですが――木津聿斎が作庭した国指定名勝『琴ノ浦 温山荘園』では当時は最先端で珍しかったコンクリートの意匠を多く取り入れている。願泉寺のこの“流れ”も実は“当時の最先端”を取り入れたものだったのだ、多分。
ついでに言うと石橋の脇にある青石の立石も昭和初期の写真に映り込んでいる。…後に重森三玲の代名詞になるこの作風、最初に試したのは木津聿斎だった…?
三千家の茶人や、協働してた七代目小川治兵衛と比べるとフィーチャーされる機会の少ない?木津聿斎だけど、氏のクリエイティブに興味を持つことで更に惹かれる枯山水庭園。ちなみに茶室「相應庵」も木津聿斎が手掛けた茶室なのだそう(元はどこにあったのだろう)。この茶室では茶道教室も開催されています。詳しくは下記の関連サイトよりご確認ください。
またこの願泉寺は大阪府にある国の重要無形民俗文化財の2つのうち1つ『四天王寺 聖霊会の舞楽』を現代に継承する『天王寺楽所 雅亮会』で中心的役割を担い、発展・普及に尽力されています。こちらもあわせてチェックしてみて!
(2018年9月、2021年6月、2022年11月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
地下鉄Osaka Metro御堂筋線・四つ橋線 大国町駅より徒歩4分
JR大阪環状線・大和路線 今宮駅より徒歩5分
〒556-0014 大阪府大阪市浪速区大国2丁目2-27 MAP