江戸時代中期の福島藩主・板倉重寛が福島城二の丸に作庭させた池泉回遊式庭園の遺構。県重文の宝塔も。
福島城二の丸御外庭(紅葉山公園)について
福島市の福島県庁に隣接する「紅葉山公園」(もみじやまこうえん)はかつて福島城の「二の丸御外庭」(にのまるおそとにわ)という庭園があった部分。昨秋に訪れた『杉妻会館庭園』を紹介する時にそんな遺構もある…と知り、このGWに再度福島の街中にも訪れました!
公園内の案内看板によるとこの「二の丸御外庭」は福島藩主・板倉重寛の命で築山や池泉、茶屋などを設け作庭されました。またその池泉は三河国八ツ橋(現・愛知県知立市)のカキツバタの名所、現在の『八橋かきつばた園』を模して造られたそう。ちなみに三河国が板倉家のルーツ。
現在は池泉は水が流れていないのでその面影は見られませんが、その流れの遺構や石灯籠、福島県指定重要文化財の「大仏城跡出土宝塔」、「板倉家御歴代略記付図」に描かれている赤い樹木=イロハモミジ?などが現在も残ります。今回訪れたタイミングでは多くのツツジが花を咲かせていてきれいだった!
戦国時代までは伊達家や上杉家(上杉景勝)の支配下にあった福島城。江戸時代には本多氏、堀田氏が藩主を務めたのち、天領となった時代を挟んで、江戸時代中期〜幕末までの約170年間に渡って板倉家が福島藩主・城主を務めました。板倉重寛はその初代。
公園内には板倉家の初代・板倉重昌をまつった『板倉神社』が建ちます。これは元は江戸時代の中期に8代藩主・板倉勝長が江戸藩邸に開いたもので、現在地に移されたのは明治時代の初め。現在の社殿は東日本大震災で被害を受けたこともあり2013年に再建されたものです。
その名の通り紅葉時期が一番きれいなのだと思うので、いつか秋にも訪れてみたいな〜。ちなみに福島県庁の一角には福島競馬場の生みの親・大島要三邸の庭跡(12〜13枚目)も残ります。
(2019年5月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)