ド凄い。日本最大級の巨大な庭石/石灯籠が見どころ!江戸時代の淡路島を治めた洲本城主・稲田氏の別荘に作庭された国指定文化財庭園。
旧益習館庭園について
【土日祝のみ公開】
「旧益習館庭園」(きゅうえきしゅうかんていえん)は淡路島の最大都市・洲本を江戸時代に治めた洲本城主&徳島藩筆頭家老・稲田氏の別荘に江戸時代初期に作庭された庭園。“日本最大級の巨石を用いた武家庭園”として、2018年に国指定文化財(国指定名勝)の庭園となりました。
土曜日/日曜日/祝日のみの公開で、通常は庭園内の散策のみ可能ですが、洲本の街のイベント開催時には和風建築『旧益習館書院』の中にて呈茶があることも。(2枚目はその際のもの)
その歴史について。現在の淡路島は兵庫県ですが、江戸時代に淡路島を治めたのは徳島藩。大坂夏の陣の後に徳島藩の領有となった淡路国、藩主・蜂須賀氏の筆頭家老だった稲田氏が淡路支配を担う洲本城主に任命。1万4500石という大名並の石高を有した稲田家は江戸時代を通じて洲本城主として淡路島を治めました。
この旧益習館庭園のある場所は当初は洲本城建築のための石切場だったとか。築城の後に稲田氏の別荘「西荘」が築かれ、そしてこの庭園が作庭されました。
この庭園の見どころはなんと言っても巨大な石!!!建物から見て右手にある巨石は高さ4m/幅5mを超え、庭石としては日本最大級のものと言われます(現代にはもっと大きなものがあるかもですが、江戸時代などの歴史的庭園に限ればこんな大きな庭石はそうない)。それもこの場が「石切場だった」ことが背景にあります。
その巨石が使われた池を中心として、“曲田山”の斜面にもふんだんに石材が使われ園路の作られた池泉回遊式庭園。山の上まで園路を設えたのは近代の改修だそうですが、それでも「こんな上まで石を運んでデザインしたのか…!?」と驚く、この庭園ならではの造形がある。
山の麓からは、借景として山城である洲本城跡の天守を眺められます――が、目が行くのは「やっぱり大きな石灯籠」。東京の『旧古河庭園』や秋田県の『旧池田氏庭園』にも日本最大級と言われる石灯籠(雪見燈籠)がありますが、旧益習館庭園のものはそれに決して劣らないサイズ…。
なお「益習館」の名は幕末の1854年(嘉永7年)にこの西荘に移された稲田氏の私塾学問所の名前が由来。幕末には桂小五郎、西郷隆盛、山縣有朋ら幕末の志士が滞在したこともあるそう。
しかし現在ある建物(書院)は当時のものではなく、近代(明治時代末期〜大正時代)に時の所有者・川上氏のお屋敷の時代に近代和風建築。現代になり、川上氏以降の所有者から洲本市に寄贈され公開が開始。
元の建物が失われたきっかけは1870年(明治3年)に稲田氏を取り巻いて起こった「庚午事変」という騒乱によるもの。淡路島が徳島から離れ兵庫県に編入される原因となった事件と言われます。
旧益習館庭園から真っ直ぐ続く「レトロこみち」が洲本の人気観光スポットの一つで(言い換えるとレトロこみちを進んで突き当たる場所にあるのがこの庭園)、一帯を盛り上げる施策として秋にはこの庭園のライトアップも。淡路島を訪れた際はぜひ立ち寄って。
(2019年1月、2023年10月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)