長州藩が参勤交代の際に利用した“萩往還”沿いに建つ萩藩主・毛利家の別邸。江戸時代中期の庭園と茶室“花月楼”も。国指定史跡。
英雲荘(三田尻御茶屋)庭園について
「三田尻御茶屋」(みたりじおちゃや)は江戸時代初期、萩藩二代目藩主・毛利綱広により造営された長州藩の公館(別邸)。参勤交代や領内巡視の際に宿泊所・迎賓館として利用されました。「英雲荘」(えいうんそう)の名はこの施設に縁深い七代目藩主・毛利重就の法名から命名されたもので、「萩往還関連遺跡三田尻御茶屋旧構内英雲荘」として国指定史跡。
かつて萩藩/長州藩の海の玄関口として栄えた防府・三田尻港。萩藩が参勤交代の際に利用した港であり、三田尻には歴史を感じるレトロな町並みも残されています。
萩の城下町へと至る“萩往還”の街道沿いに1654年(承応3年)に造営された「三田尻御茶屋」。山口県内で唯一残る毛利家の御茶屋で、明治時代の版籍奉還で藩主の任を解かれた後には毛利家の屋敷として用いられた時代も。
毛利家が近代にこの地から北へ約2kmの場所に『毛利本邸』(現・毛利博物館)を造営した後、昭和初期の1939年に防府市に寄贈。市民の公民館として用いられてきましたが、平成年代に屋敷を往時の姿に復元する大工事を経て2011年より一般公開を開始。その庭園も江戸時代中期に作庭された池泉回遊式庭園が2019年(令和元年)までに修復・復元されました。
現在見られるお屋敷のベースを造ったのは毛利重就。重就は藩主を退き隠居するにあたって1783年(天明3年)に三田尻御茶屋の大改修を行い(=現在の庭園もその時の姿に近づけたもの?)、晩年の6年間をこの地で過ごしました。幕末、13代目藩主・毛利敬親により現在の規模に改築。当時は海まで見渡せた主屋2階の“大観楼”には京都から逃れた三条実美や高杉晋作ら幕末の志士も出入りしていたとか。屋敷内は藩主も用いた迎賓施設らしく襖絵や意匠も非常に凝っていて見ごたえがある。
庭園の一角にある茶室“花月楼”。これは1786年(天明6年)に防府の周防国分寺に毛利重就の命で建築されたもので、三田尻御茶屋内には1888年(明治21年)に移築。
で、御茶屋内には当初1776年(安永5年)に初代の“花月楼”が建立されていました。これも毛利重就が建てさせたもので、その設計は江戸千家の初代でもあった茶人・川上不白。その初代は重就の没後に萩藩の茶人・竹田休和の手に渡り萩の武家屋敷に移築。そして明治時代には毛利家の家臣であり松下村塾門下生、新政府でも活躍した品川弥二郎が取得し保存、そして現在は萩の世界遺産『松陰神社』に移築されています。初代は山口県指定文化財。
そして2018年に初めて英雲荘に訪れた時はあまりピンと来なかったけど、この花月楼まわりの露地庭こそ萩市内・山口市内の江戸時代後期~近代の庭園でよく見られる白砂の中に高い飛び石が配された“萩藩、長州藩らしい庭園”といった感じがする。その庭園にも注目してみて。
(2018年7月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・交通 / Locations
JR山陽本線 防府駅より徒歩15分(※駅にレンタサイクルあり)
防府駅より路線バス「三田尻病院」バス停下車 徒歩2分
〒747-0819 山口県防府市お茶屋町10-21 MAP