中世に新居浜を治めた武将・金子氏の菩提寺に、現代京都の庭師“京都庭常”平岡宏歸が作庭した枯山水庭園と“紅葉まつり”で限定公開の池泉回遊式庭園。
慈眼寺庭園について
「正法山 慈眼寺」(じげんじ)は南北朝時代~戦国時代の新居浜を治めた金子氏の居城『金子城』(現・滝の宮公園)の麓にある曹洞宗の禅寺。京都の庭師“京都庭常”二代目平岡宏歸さんにより作庭された庭園があります。
2022年年始、4年ぶりに訪れた新居浜。国指定名勝『旧広瀬氏庭園』(旧広瀬邸)を訪れた足で現代の作庭家による庭園も2箇所訪れたのでそちらを紹介。
この慈眼寺は観光マップにも掲載されているお寺さん。前庭の枯山水庭園は自由に拝観できますが、主庭の池泉回遊式庭園は春と秋のみ期間限定公開、特に秋の“紅葉まつり”は地域の方々にも親しまれているそう。今回は残念ながらその期間じゃなかったので前庭だけ紹介…。
新居浜駅から西へ徒歩20分。現在では新居浜市の都市公園となっている『滝の宮公園』のある地はかつての山城・金子城の一角で、その城跡は新居浜市指定史跡。
元は関東の武士で、源平合戦で源氏の戦勝に貢献したことで伊予国のこの地に領地を与えられた金子氏。1283年(弘安6年)頃に金子頼広が『金子城』を築城、その東の麓=現在の慈眼寺の地に居館を、そして北麓に慈眼寺の前身となる菩提寺を建立しました。当初は同じ禅宗でも臨済宗のお寺だったそう。
そして戦国時代の終わり、時の城主・金子元宅は長宗我部元親と和議を結んでいたことから、1585年(天正13年)に羽柴秀吉の“四国攻め”で小早川隆景率いる大軍に攻められ戦死。慈眼寺も攻められ焼失。
金子元宅の弟・金子元春はこの戦いで幸運にも生き延び、逃れた先の今治の『大雄寺』で出家。修行を経て約30年後の1613年(慶長18年)に新居浜に戻り、先の戦いで戦死した人々の菩提を弔うためこの地に慈眼寺を建立(再建)しました。
お寺として現在のような大きな規模となったのは江戸時代の末頃で、また1992年(平成4年)には四国攻め(天正の陣)から400年を記念して伽藍を全て新しく建て替えられたそう。(主庭はその時に作庭されたものかな)
本堂の前と周辺に前庭の回遊式枯山水庭園があります。作庭を手がけたのは“宏歸流”京都庭常の二代目総匠・平岡宏歸さん。
伊予の青石がふんだんに使われた石組に加え、巨大な石橋が2つ3つと架けられた迫力のある石庭…先に紹介した『真光寺』も素晴らしかったけれど、こちらも負けじと素晴らしい!し、2015年作庭という新しいお庭だけどこれまた向こう50年、100年…と親しまれて欲しいお庭。
“庭常”さんの名前はここで初めて見たのですが、これまで紹介した中では京都・西陣の『妙蓮寺』の前庭も手がけられていました。その門下生は全国各地で活躍をされています。
そしてお堂の奥には茅葺の茶亭や四阿が配されたなかなか大きそうな池泉回遊式庭園があります(公式サイトのGoogleストリートビューで少しその様子を伺うことができる)。次は特別公開時期に訪れたい!
(2022年1月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
JR予讃線 新居浜駅より徒歩20分(*駅にレンタサイクルあり)
*最寄のバス停「慈眼寺」を発着するバスは新居浜駅を経由せず。新居浜西バスターミナルや新居浜駅より徒歩15分の「公園前」バス停から2時間に1本程度の頻度の本数あり。
〒792-0035 愛媛県新居浜市西の土居町2丁目16-47 MAP