本願寺8世・蓮如上人が開いた“出口御坊”をルーツとする寺院に、京都“詩仙堂”が有名な江戸初期の文化人・石川丈山が作庭の知られざる庭園…枚方市指定文化財。
光善寺(出口御坊)庭園について
「淵埋山 光善寺」(こうぜんじ)は『本願寺』第8世・蓮如上人が室町時代に建立した『出口御坊』をルーツに持つ真宗大谷派の寺院。本堂をはじめとする建造物は江戸時代から残るもので、境内一帯が『出口御坊跡』として枚方市指定史跡。また京都で国指定文化財『渉成園』、『詩仙堂』をはじめ人気の庭園を残す江戸時代初期の文人・石川丈山の作庭と伝わる庭園も残ります。
2022年の冬に初めて拝観しました。建築内部は通常非公開ですが、庭園はお寺の方にお声がけすれば散策可能です。
その歴史について。今日も京都/日本を代表する寺院のひとつ『本願寺』、その第8世・蓮如上人が有名な『吉崎御坊』(越前国)の次に拠点としたのが河内国の出口村。1475年(文明7年)に出口御坊が建立され、現在の大阪方面で布教を広げるとともに出口集落も「寺内町」として発展を遂げたそう。
やがて蓮如は山科本願寺を建立し京都に戻り、蓮如に代わって長男の順如師が初代住職として「光善寺」を創建(開基・蓮如)。そこから戦国時代に突入し、1534年に火災に遭った後はしばらく再建されない時期が続いたものの、江戸時代の初めに再興され現在見られる寺観が整えられました。
江戸時代中期の1782年(天明2年)に建築の本堂(御堂)をはじめ、江戸時代初期の山門、脇門(通用門)、太鼓楼、鐘楼、書院が江戸時代から残る建造物。特に特徴的な太鼓楼は「寺内町」の面影を感じさせたり、庭園に面した書院は蓮如上人が出口御坊で過ごした時代から配置を変えずに残されているそう(※建物自体は江戸時代のもの)。庭園の作者でもある石川丈山によって書院は“萬象亭”と名付けられました。
そんな書院が面する、本堂の奥にある庭園について。心字池を思わせる形の池を中心とした池泉回遊式庭園で、その作庭者は石川丈山と伝わります。三河時代から徳川家康に仕えた武将であり、小堀遠州、本阿弥光悦らとともに江戸時代初期の“寛永文化”を支えた文化人でもある石川丈山が遺した貴重な庭園の一つ。
しかし更に歴史を遡ると、淀川からも程近いこの境内地はかつては一万坪以上の大きな池があったそうで、それを埋め立てて境内が整えられました(山号の“淵埋山”もそれが由来)。現在見られる池はそれ以前からあった池の一部でもあるそう。
石川丈山がこの庭園を作庭した江戸時代当時は川べりが現在よりも近く、淀川や行き交う船、そして対岸の天王山を借景としたスケールの大きい庭園だったとか(きっと『渉成園』のようなスケールだったんだろう)。なお現在の姿は昭和時代、1970年代に改修を経た後のもの。庭園の一角に植っている樹齢200〜250年の「光善寺のサイカチ」は枚方市ではなく大阪府指定文化財(天然記念物)となっています。
お寺から少し離れた場所には「蓮如上人の腰掛け石」も史跡として残されています。東海道・枚方宿を歩く歴史好きな方はいちど出口御坊にも足を延ばしてみて。
(2022年12月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)