平安時代の貴族・藤原氏の栄華を現代に伝える唯一の宮殿/国宝建築、その“浄土庭園”も国指定文化財。ミュージアム“鳳翔館”のモダンな苔庭にも注目!
平等院鳳凰堂/平等院庭園について
「平等院」(びょうどういん)は世界遺産「古都京都の文化財」にも構成される京都を代表する寺院の一つ。平安時代に時の関白・藤原頼通により建立された国宝「鳳凰堂」(平等院鳳凰堂)が有名。鳳凰堂の周囲に広がる池泉庭園も『平等院庭園』として国指定文化財(国指定名勝)となっています。
日本では“10円玉”に描かれていることでも知られる平等院鳳凰堂。その歴史をさかのぼると、平安時代のこの地は貴族や皇族(天皇)の別荘地でした。
前身となるのは、平安時代に栄華を極めた藤原氏の全盛期を築いた藤原道長の別荘『宇治殿』。道長の死後に別荘を引き継いだ道長の子、関白・藤原頼通が1052年(永承7年)に寺院に改め、その翌年(1053年)に現在「鳳凰堂」の名で知られている阿弥陀堂が建立。頼道は晩年平安京を離れ出家、宇治・平等院に隠居しました。
■鳳凰堂/平等院庭園
応仁の乱や幕末の戦乱などで鎌倉時代より前の“貴族”にまつわる建築(寝殿造り建築)はほとんど残されていない京都において、数少ない(唯一)その荘厳さを伝える鳳凰堂。ご本尊は阿弥陀如来(こちらも国宝)で、現在は「鳳凰堂」の通称が有名ですが役割としては「阿弥陀堂」。文化財の建築としては中堂/北翼廊/南翼廊/尾廊の4棟で構成されます。その姿から、江戸時代頃から「鳳凰堂」と呼ばれるようになりました。
平安時代に流行した西方浄土思想を現世に表現した鳳凰堂は、建築を西側に置き、真東側に極楽浄土をイメージする池泉庭園“阿字池”が設けられています。国宝建築に対して庭園はその1ランク下の文化財指定ですが、本来的には庭屋一如、「一体」の存在。天気や時間帯によっては鳳凰堂の姿が鏡のように池に映り込みます。その時代に流行した「浄土庭園」(浄土式庭園)の代表作の一つでもある。
そんな「貴族の時代の歴史を伝える唯一の遺構」でありながらも、藤原氏の権力が弱まって以降は戦乱等にも巻き込まれ、鳳凰堂以外の当初の建築は消失。現代に至るまでにその景観も変化していったのですが、1990年(平成2年)以降に実施された庭園の発掘調査で平安時代の遺構が発見。現在見られる鳳凰堂周辺の“州浜”や鳳凰堂向かって右手の2つの橋、平橋・反橋はその調査を踏まえて復原されたもの。建築も2010年代前半に平成の大修理が行われました。
■平等院ミュージアム「鳳翔館」苔庭
鳳凰堂・庭園の南部の丘に2001年(平成13年)開館したのが博物館「鳳翔館」。平等院に伝わる多数の文化財(国宝含む)を現代の技術の中で保存/展示するために建てられ、地上部には拝観者が宇治茶とともにゆったりできる茶房『藤花』もあります。建築設計は建築家・栗生明。
同じく屋上部にある、和モダンな休憩所と苔庭も素敵——借景には宇治川の対岸の山々が。この鳳翔館周辺のランドスケープデザインを手がけたのは現代の著名な造園家のひとり・プレイスメディア(PLACEMEDIA)/宮城俊作さん。宮城俊作さんは平等院塔頭『最勝院』の生まれで、現在は平等院のご住職という立場でもあり、その中でこの平安時代から伝わる空間と現代の人に伝えるための空間が繋がるような景観がデザインされています。2001年:グッドデザイン賞/2002年:BCS賞受賞。
ちなみに、この鳳翔館の奥にある塔頭『浄土院』の「養林院書院」は桃山城の遺構でもあり国指定重要文化財。大名茶人・細川三斎の作庭と伝わる庭園も京都府指定名勝となっています(完全非公開)。鳳凰堂だけでない平等院の歴史的な魅力も感じてみて。
(2014年1月、2016年12月訪問、2018年3月、2024年4月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)