坂上田村麻呂や空海ゆかりの寺院に残る、安土桃山時代~江戸、大正時代~昭和の各時代に作庭された池泉式庭園。
仏法寺庭園について
【拝観は要予約】
「佛法紹隆寺」(ぶっぽうしょうりゅうじ)は平安時代の初め806年頃に征夷大将軍・坂上田村麻呂が戦勝報告の際に開かれ、その後弘法大師空海が入り当時の信州・甲州の本山としたという高野山真言宗の古刹。
安土桃山時代~江戸時代~明治・大正時代~昭和という各年代に作庭された池泉庭園が「仏法寺庭園」として諏訪市指定名勝となっています。
2019年7月に約2年ぶりに訪れました!前回訪れた際には拝観料を受付のポストに入れてあとは自由拝観のような形でしたが、ご住職が変わられたのもあり、御本尊の説明もしていただけるなど順路に沿って拝観する形となりました。またGWや紅葉時期以外は拝観は要予約。
…だけど今回自分はそういった風に変わったことを知らずにいたので直接行ってしまった。運良くご住職が帰ってこられたので無事拝観できましたが、今後行かれる方は予約するのが確実です!
正式名称が『鼈澤荘厳山 大虚空蔵院 仏法紹隆寺』。坂上田村麻呂はこのお寺と諏訪大社上社本宮の近隣にあった『神宮寺』を同時に開き、空海もこの2寺を兄弟寺院として役割を分けながらこの地の拠点としたそう。戦国時代には甲斐・武田軍の支配下となったり、織田信長軍が攻め入ったりされつつ、諏訪家再興の祖という諏訪頼忠公が和歌山『根来寺』から尊朝を第11世住職に迎え再興、江戸時代には諏訪高島藩の祈願寺に。
神宮寺のみならずこちらも諏訪大社と関係性が深く、明治時代の神仏分離・廃仏毀釈で神宮寺が廃寺になった際には仏法寺に御本尊だった諏訪大明神本地普賢菩薩、普賢堂脇仏文殊菩薩などが移りました。現在の仏法寺の普賢堂は神宮寺の普賢堂を再建する意味も込め、江戸初期に建てられた高野山真言宗東京別院の本堂を昭和年代に移築したもの、山門も神宮寺より移されたもの。
庭園は複数個所に分かれていて、まず普賢堂の裏にある池泉鑑賞式庭園が昭和年代に作庭された境内で最も新しい?庭園。そこから本堂に戻る道沿い(築山の麓)にあるのが大正時代に作庭された“流れ”を表現した庭園。そして本堂・庫裏の裏、築山の斜面を活かした池泉庭園が安土桃山時代に作庭~江戸時代に改修されたと伝わる古庭園です。
前回訪れた5月と今回の7月ではモミジなどの落葉樹の葉の付き方と影によって見え方が違うので、混ぜながら写真を掲載しています。ちなみに後半に載せている、築山の上から庭園を見ることは現在は不可。基本は観賞式庭園だけど、その時は池泉回遊式庭園なのかなと感じたぐらいの広さをほこる庭園。
庭園上部の集団石組や滝石組など多様な石組が特徴的な庭園で、数少ない“玉澗流”の庭園とも言われます。前述の桃山時代のご住職・尊朝と同時期に根来寺で修行していた玄宥(げんゆう)が後に京都で智積院を開いた(再興した)ため、『智積院庭園』との類似性も指摘されています――といっても智積院の現在の庭園も江戸時代に改修されているので「似てないかも」と言われたら「そうかも」と思う。池中央の自然石を上下に組み合わせた石灯籠がかわいい。
以上、自分の記憶がどうしても庭園メインになってしまうのですが(宝物庫も鑑賞したけど、記憶が薄い…)――所蔵されている中には鎌倉時代に運慶による作と伝わる「不動明王立像」(長野県宝)もあります。
その他にも計6,000点という多くの文化財・古文書を所蔵し、めちゃくちゃすごいのはサイトで『古文書・聖教データベース』を公開していること。基本的にはタイトル・年代などのみとはいえ、一つの寺院でこのようなデータベースを作り、公開している例って他にある?記憶にない。これはマジですごい。
その他諏訪市天然記念物となっている大イチョウも紅葉期にはライトアップされ人気。信州へ訪れた際にはまた訪れたい場所!
(2017年5月、2019年7月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
JR上諏訪駅よりコミュニティバス大和四賀線「立畷川」バス停より徒歩5分
【平日のみ】茅野駅または上諏訪駅より路線バス「四賀桑原」バス停下車徒歩10分
JR茅野駅・上諏訪駅より約4km
〒392-0012 長野県諏訪市大字四賀桑原4373 MAP