彦根藩・井伊家も訪れた商家に開かれた苔の庭園を眺められるカフェ。江戸時代後期の狩野派/京都画壇の画家・岸駒が描きた梅の古木も。
文泉堂(吉田豊邸)庭園について
「文泉堂」(ぶんせんどう)はかつて羽柴秀吉(豊臣秀吉)が治めた城下町・長浜の中心商店街“大手門通り商店街”に残る、ひときわ間口の広い商家。喫茶・カフェ利用もできる書店は元は江戸時代後期に創業した商家で、明治時代以前に作庭された近代町家の庭園が残ります。
2022年7月に1年数ヶ月ぶりに長浜へ。長浜の庭園を紹介する冊子『ながはまのお庭』を以前いただき、こちらを参考にいくつかの町家の庭園を巡るのが目的でした。
先に紹介した『まちづくり役場』で、この付近で公開されている最も立派な商家の庭園のひとつ…と紹介いただいたのがこの文泉堂。「ながはまのお庭」の中では「吉田豊邸庭園」として紹介されています。
その歴史は江戸時代後期、“銭作”という屋号の両替商としてスタートした文泉堂。脇の札には《天保9年(1838)井伊豊前守(=10代彦根藩主・井伊直幸の子の井伊直容)、銭作の桟敷で曳山祭りを見学する。》と残るなど、長浜の曳山まつりを鑑賞に訪れた井伊家を迎えるクラスの商家でした。当時の初代・吉田作平は長浜町長にも就任。
近代〜昭和にかけて徐々に家業も移ろい、新聞配達所・文具店を経て町の本屋を営むようになりました。
その過程で一時失われたのが前述の「桟敷席」、しかし現代になり先代のご当主が古写真や伝承から桟敷を復元。その桟敷とともに1998年(平成10年)にリニューアルした文泉堂。
(書店として)《モノを売ることではなくコトを体験してもらう地域の発信拠点》として、間口の広い商家の横長に開かれた独特の造りの座敷は、現在は喫茶・カフェスペースとして活用されています。また書店としても地域や町作りの書籍など、独自のストーリー性を感じられる品揃え。
そんな奥座敷・カフェスペースから眺められる庭園も明治時代以前と100年以上前に作庭された庭園。座敷から正面に見て、左右には立派なアカマツ。そして奥行きのある飛び石の園路と石灯籠、奥に建つ土蔵の姿がそれぞれ景となっている枯山水庭園。京都の近代町家の庭園ともよく似ている。
マツやモミジも美しい緑の姿を見せてくれていたけれど、この庭園のもう一つの主木と言えるのが庭園向かって左手にある(枝ぶりのかっこいい)梅の木。 長浜市の保存指定樹木にもなっているこの梅は樹齢400年とも言われる古木で、狩野派の画家・岸駒が銭作に宿泊した際の礼にこの梅を描いた襖絵も残るとか。
岸駒が『長浜御坊 大通寺』に残した襖絵にも同じ梅が描かれていて、その「老梅図(金地墨画梅之図)」は長浜市指定文化財。京都には『西本願寺』や『修学院離宮』、『角屋』などに作品を残されています。
雨の日はきっと苔がより輝きそうな庭園。長浜観光の休憩にもぜひ立ち寄ってみて。
(2022年7月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)