地獄でなぜ悪い――与謝野晶子/高浜虚子/佐佐木信綱ら文人墨客や昭和天皇・皇后も訪れた別府温泉の代表的観光スポット。国指定名勝。
別府の地獄について(海地獄・鬼石坊主地獄・白池地獄・血の池地獄)
「別府の地獄」(べっぷのじごく)は九州を代表する温泉地・別府の人気観光スポットで、“別府地獄めぐり”として有名。その一部、『海地獄』『白池地獄』『血の池地獄』『龍巻地獄』は国の文化財(国指定名勝)にもなっています。2022年年始に9年ぶりに訪れました。
別府駅から路線バスで30分ほど。古くは平安時代の『豊後風土記』にも登場する別府温泉“別府八湯”のひとつ、鉄輪温泉を中心とした一帯には様々な成分に独特な色味の源泉が湧出する“地獄”が点在します。
それにしてもなんで「地獄」という仰々しい名称?と思うのですが、その当時はその熱をコントロールする術がなく忌み嫌われていたことから地獄と呼ばれ、江戸時代には福岡藩の学者/文人・貝原益軒の『豊国紀行』でも“地獄”と記されました。
技術の発達で人為的な温泉掘削が活発になり、近代~昭和にかけて別府が国際的な観光都市に変貌するのと並行して鑑賞の対象になった“地獄”。与謝野晶子や高浜虚子もその景観を作品に残しました。ちなみに地獄の集中する鉄輪地区は「別府の湯けむり・温泉地景観」として国の重要文化的景観にも選定されています。
■海地獄(1~7枚目)
国指定名勝としても最初に名前が上がり観光施設としても最も大きいのが、鉄輪地区の地獄で最も高い場所にある海地獄(うみじごく)。1910年(明治43年)に他の地獄に先駆けて観光施設として開業。
そのコバルトブルーの源泉が美しい――のだけど、冬に訪れると湯気であまり良く見えない。笑。前回も思ったな…。地獄のほかにも回遊式庭園として整備されており、夏には大鬼蓮や熱帯性睡蓮の名所にも。
大正時代には皇太子時代の昭和天皇も海地獄をご見学なされ、その数年後には良子女王殿下も訪れ、園内には両殿下が訪れたことを示す記念碑も。
■鬼石坊主地獄(8~12枚目)
海地獄と隣接するのが鬼山坊主地獄(おにいしぼうずじごく)。こちらも大正時代からの歴史を持つ地獄で、現在の姿は2002年にリニューアルオープンして以降の姿。
灰色の熱泥がボコボコと沸騰する姿が坊主頭に似ていることから“坊主地獄”の名がつきました。ちなみに似た名前の『坊主地獄』は「鶴見の坊主地獄」の名で大分県指定文化財。(海地獄から更に1kmほど坂を上った場所にあります。今回は訪れず…)
■かまど地獄(13~16枚目)
様々な色の源泉を見られ、観光施設としての解説が多いのがかまど地獄。施設としては明治時代からの歴史を持ちますが、現在の場所で開業したのは戦後の1947年(昭和22年)頃。
氏神の八幡竈門神社(竈門八幡宮)とのゆかりから名付けられ、近年では竈門八幡宮と共に『鬼滅の刃』の聖地としても話題になりました。
■鬼山地獄(17~18枚目)
その熱を活かした約100頭のワニの飼育で有名な鬼山地獄(おにやまじごく)、別名「ワニ地獄」。ワニの飼育も大正時代からと約100年の歴史をほこります。園内には歌人・佐佐木信綱の歌碑も。
■白池地獄(19~23枚目)
鉄輪地区のもう一つの国指定名勝は、鉄輪バス停から最も近くの白池地獄(しらいけじごく)。青~白の透明な源泉も美しいのだけど、大分県指定重要文化財となっている“向原石幢”“国東塔”という石造物が建つのが他の地獄とはまた異なる歴史を感じさせる。
また時宗の開祖・一遍上人が“鉄輪温泉の開祖”として銅像があります。
■血の池地獄(24~25枚目)
残り2つの国指定名勝、血の池地獄(ちのいけじごく)と竜巻地獄(たつまきじごく)は鉄輪地区から2~3km離れた柴石温泉地区にあります。そのうち血の池地獄はその名の通り、血のような真っ赤な源泉がその特徴。効能すごそう。
先述の『坊主地獄』など、上記に含まれない地獄も複数存在します。庭園巡りの一環としてぜひ。
(2013年2月、2022年1月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
JR日豊本線 別府駅・亀川駅より路線バス「鉄輪」「海地獄前」バス停で下車(血の池地獄のみ鉄輪エリアから約2km)
〒874-0000 大分県別府市鉄輪559-1 MAP