嘗ての宮家・有栖川宮家が暮らした御殿に11代目小川治兵衛が作庭した“平成の植治の庭”。国登録有形文化財。
有栖館(有栖川宮旧邸)について
【通常非公開】
「平安女学院 有栖館」(へいせいじょがくいん ありすかん)はかつての皇族の宮家・有栖川宮家の邸宅として建てられた旧宅で、国登録有形文化財。通常非公開ですが例年春と11月初旬に特別公開されています。
庭園は近代京都を代表する作庭家・小川治兵衛(植治)のご当代・11代目小川治兵衛こと小川雅史さんに2009年に作庭されたもの。
2019年秋の特別公開で初めて訪れ、そして2020年3月のシダレザクラが美しい時期に再訪しました!(4月初旬だと思ってたら、2020年は開花予想が早かったこともあり3月20-22日の公開でした)。
有栖川宮家は江戸時代のはじめ(1625年)、後陽成天皇の第7皇子・好仁親王によって創設され、伏見宮、桂宮、閑院宮と並んで「四親王家」の一つ。
江戸時代の有栖川宮邸は京都御所の北東部分、“猿ヶ辻”のあたりに建っていたそうですが、幕末に御所の拡張に伴い移転。その後、御所の南(建礼門の前)に新築されたものの、有栖川宮家も東京に移ることになり、京都府裁判所の仮庁舎として使用されることに。ちなみに東京へ移った有栖川宮家の東京の邸宅に残る庭園が霞が関の『国会前庭』です。
その後、御所の外に御殿の一部を移築したのがこの“有栖館”。烏丸通を挟んでほぼ斜め向かい、京都御所の中に『閑院宮邸』もありますが、元から両家が近かったわけではなかったんですね。2007年まで旧京都地方裁判所所長宿舎として使用され、その後近くにキャンパスのある平安女学院の所有に移りました。主に校内の日本文化・京都文化の発信拠点として利用されているそう。
明治時代の状態をよく残す書院造りの主屋、長屋門、そして三井財閥・三井高保が大正時代に築いた邸宅の門だった(後にこの地に移築された)「青天門」が国登録有形文化財となっています。青天門の命名は歌人・吉井勇。
主屋から眺められる枯山水庭園と中庭、前庭は“植治”十一代目小川治兵衛、小川雅史により手がけられた“平成の植治の庭”。主庭は主屋からの庭になるんだけど――前庭に(校内の施設だから)石橋で利用しそうな長い石がベンチになっていたり、堂本印象の発案で『醍醐寺三宝院』の実生の桜を移植したという枝垂れ桜など、憩いの場としての広々とした雰囲気があるのも良いなぁと思った。
平安女学院に関しては、南側の通りを挟んで向かいにあるゴシック様式の重厚な教会建築『聖アグネス教会』の方が印象に残る方が多いかもしれない(自分もそうだった)。こちらも明治時代の1898年に竣工した教会建築で、設計はジェームス・M・ガーディナー。京都市指定有形文化財。通り過ぎてしまいがちな場所だけど、もし開いてたら一見の価値あり!
(2019年11月、2020年3月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
京都市営地下鉄烏丸線 丸太町駅より徒歩4分
最寄バス停は「烏丸下立売」バス停下車すぐ
〒602-8013 京都府京都市上京区下立売通烏丸西入五町目町185-1 MAP