豊会館 又十屋敷 松前庭園

Yutakakaikan Garden, Toyosato, Shiga

彦根藩主・井伊家とも関係深く、近代に“缶詰王”とも呼ばれた近江商人・藤野喜兵衛の旧邸。庭園は江戸時代の近江の有力作庭家“鈍穴流”勝元宗益(勝元鈍穴)作庭。

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豊会館 又十屋敷 松前庭園について

【土曜日のみ公開】
「豊会館 又十屋敷」(ゆたかかいかん またじゅうやしき)はアニメ『けいおん!』の聖地として有名な滋賀県豊郷町に残るお屋敷/歴史資料館。その庭園“松前庭園”は江戸時代後期に滋賀県で活躍した作庭家で“鈍穴流”始祖・勝元宗盛(勝元鈍穴)作庭。滋賀県の「名園百選」に選定。

豊郷町と言えば『けいおん!』の舞台にもなったウィリアム・メレル・ヴォーリズ建築『豊郷小学校旧校舎群』が有名ですが、中山道の旧街道沿いには近江商人のお屋敷も残ります。その一つが「伊藤忠」「丸紅」創業者の旧邸『伊藤忠兵衛記念館』、そしてもう一つがこの豊会館。
こちらも以前から訪れたかったのですが、現在は土曜日公開のみ…なかなかタイミングが合わなかったのですが、2023年6月に初めて訪れました。

伊藤忠兵衛記念館からは西へ800m(徒歩10分)ほど。豊会館のある「枝村」は室町時代には美濃紙を取り扱う御用商人として活躍した「枝村商人」発祥の地で、豊会館を造営した藤野喜兵衛(藤野四郎兵衛)は江戸時代には彦根藩主・井伊家とも関係が深い豪商でした。

江戸時代中後期には蝦夷地での開拓やビジネスに進出。四代目藤野喜兵衛喜昌は現在の松前町に「又十」「柏屋」の屋号で拠点を置くと函館・根室・国後と各地に缶詰工場を展開。現在はマルハニチロの販売商品「あけぼの印さけ缶詰」は明治時代には柏屋のブランドで、当時の陸海軍御用達にもなった藤野喜兵衛は“北海道の缶詰王”とも呼ばれたとか。

そんな藤野喜兵衛が江戸時代後期に地元・豊郷に造営したのが現在の豊会館。「又十屋敷」の呼称は先述の屋号から名付けられたもの。
昭和初期に藤野家の所有から離れ、一時期は村役場として活用されたものの、役場が移転した後は長い間放置され荒廃。地元が生んだ近江商人の屋敷を保全・活用すべく、地元の企業家・夏原太一、青木捨二郎らの手により一般社団法人が設立され1968年(昭和43年)より郷土資料館として開館しました。前庭には三笠宮殿下の来館記念碑も。

最盛期に20棟以上あったというお屋敷も主屋と展示棟(元は書院棟?)を残すのみですが、お屋敷の中心にある庭園“松前の庭”(松前庭園)は江戸時代後期の天保年間に作庭された姿を200年後の現在に伝えます。
作庭を手掛けたのは勝元宗盛(勝元鈍穴)。江戸時代後期に近江国の数多くの庭園を残したという作庭家で、その作庭流派“鈍穴流”は近江五個荘を拠点とする造園会社「花文」により現代にも伝わります。

2022年にその作品『松樹館庭園』が国登録名勝にもなった勝元鈍穴が作庭を手がけた庭園としてこちらも貴重な庭園で、大きな飛び石や豪快な石組からその作風を感じられます。特に、池泉を正面に見て手前に置かれた鋭くて大きな立石が強烈…!

館内の展示物には「井伊家の赤備え」と呼ばれた武具をはじめ、井伊家が好んだ「湖東焼」や彦根屏風など、藤野家と井伊家の結びつきの強さを感じられるものが多数。庭園好きの方も歴史好きの方もぜひ訪れてみて。

(2023年6月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

近江鉄道 湖東近江路線 豊郷駅より徒歩15分

〒529-1174 滋賀県犬上郡豊郷町下枝56 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は2,000以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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