養浩館庭園Yokokan Garden, Fukui

街中・駅チカの大名庭園!江戸時代中期に作庭された越前松平家の御茶屋と回遊式庭園――命名は松平春嶽。

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養浩館庭園(旧御泉水屋敷)について

「養浩館庭園」(ようこうかんていえん)は越前国福井藩主・越前松平家の別邸として江戸時代初期〜中期にかけて作られた数寄屋造りの屋敷と大名庭園。国指定名勝であり、米国の日本庭園専門誌の日本庭園ランキングで3年連続で3位に輝いたこともあるなど国外からも高い評価を受けている庭園――庭園界のナイスネイチャ!?何より、主要駅(今後は新幹線駅)から徒歩10分強で行ける大名庭園というアクセスの良さが◎!
作庭は小堀遠州や千利休の孫・千宗旦に師事した、茶道宗偏流の祖・という説があります。

越前松平家の居城・福井城跡からも程近く。現在見られる築山泉水式庭園が完成する以前、3代目福井藩主・松平忠昌の時代からこの地には松平家の屋敷「御泉水屋敷」(おせんすいやしき)があったとされます。その後江戸時代中期の7代目藩主・松平昌明の時代に敷地を拡張し、現在隣接する「福井市郷土歴史博物館」までが御泉水屋敷の敷地に。

明治維新以降も松平家の迎賓館として使われていたそうで、晩年の大隅重信が訪れたこともあったとか。なお『養浩館』という名は幕末に中央の舞台でも活躍した最後の福井藩主・松平春嶽によって明治時代に名付けられたもの。
福井の市街地の85%が失われたという太平洋戦争時の空襲により屋敷は焼失したものの、庭園の姿は保たれたため、その遺構と江戸時代の文献「御泉水指図」を元に修復され、平成年代から一般公開が始まり現在に至ります。(なお現在の屋敷は少し新しく感じるのですが、2015年に訪れた時になんかの修復が終わった直後…とかそういう話を聞いたような…勘違いかもだけど。)

ちょっと話がずれるけど、福井県・福井市は新幹線開業に向けて、恐竜や絶景以外の観光資源としてやはり『歴史』にフォーカスを当てている様子があり――その中には“庭園”も含まれているみたい。「養浩館」公式サイトが以前見た時と比べて格段にかっこよくなっているのだけど、パンフレットも以前と比べて写真もデザインもかっこよくなってて!(それ以外にも城巡りの冊子や美術館巡りの冊子のデザインがカルチャー誌みたいで非常に良かった。)
公式サイトは庭園の説明も非常に細かく詳しいので、そちらを是非ご覧ください。多分庭園関連の公式サイトで解説が一番詳しいかも…。

その上で少しだけ特徴を書くと、この時代・この規模の大名庭園として珍しいのは、中の島が無いこと。そして池泉がほぼ真四角であり、アイキャッチになる築山が――正面ではなく左右に振られているのも特徴的。なのでまさに回遊しながら色んな景色の変化が楽しめる。そして池のギリギリまでせり出している屋敷からの風景は、屋形船に乗っているような感覚――と公式サイトにも書かれているけどそれすごくわかる!

また中の島が無いことで――今風に言うと“リフレクション”で遮るものが無い。「御月見ノ間」という名の間がある通り、月をはじめとした水面に映る景色が主役だったんだろうなあ。それを意識してるのかはわからないけど、養浩館庭園は庭園施設としては珍しく(冬季をのぞいて)毎日19時まで開館。季節によってはライトアップイベントも行われていますが、それとは別に暗い時間に、水面に浮かぶ月やお屋敷を観に行くのもまた良さそう。

また作庭者に関する情報は養浩館庭園の公式サイトにはありませんが、福井県坂井市の国登録名勝『坪川氏庭園』の庭園に関する情報に、その庭園を手掛けた京の茶人・山田宗偏が『御泉水屋敷庭園』を手掛けた――とありました。
以下のような文献も。
堀澤眞澄『福井、養浩館と丸岡、千古の家庭園の三尊石組について』(日本庭園学会誌)

徳川家康の息子であり武将として活躍した結城秀康や越前松平家の治めた城下町だった福井市。前述の通り空襲で市内の多くを焼失したため、古庭園は(郊外の「一乗谷朝倉氏庭園」を除くと)あまり無い。
数少ない候補として、国登録有形文化財の草庵のある『丹巌洞』という料亭の庭園が良かった――という話を聞きました。今回は予算の都合上断念したのですが、興味ある方は併せてどうぞ!

(2013年3月、2015年9月、2019年3月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

JR北陸本線 福井駅より徒歩12分
えちぜん鉄道 新福井駅より徒歩8分

〒910-0004 福井県福井市宝永3丁目11-36 MAP