
近代日本を代表する建築家・伊東忠太が設計した関東大震災の復興のシンボル“東京都慰霊堂”も有名。昭和の造園家・平山勝蔵が作庭の日本庭園も。
横網町公園 日本庭園について
「横網町公園」(よこあみちょうこうえん)は東京・墨田区のJR両国駅や相撲の聖地『両国国技館』の程近くに位置する都立公園。「公園」の名ですが園内には日本庭園もあるほか、近代日本を代表する建築家・伊東忠太により設計された昭和初期の近代建築『東京都慰霊堂』、『東京都復興記念館』(ともに東京都選定歴史的建造物)が建ちます。
東京都指定文化財の庭園『旧安田庭園』からすぐの場所にあるもう一つの日本庭園。安田庭園と比べると庭園としてはこじんまりはしているものの(公園そのものは約20,000平方メートルと広いです)、庭園作庭には昭和の造園家・平山勝蔵も関与しているとか。
明治時代〜大正時代、元々この地に陸軍被服廠(軍の工場)がありました。そちらが1922年(大正11年)に北区・赤羽へと移転、東京市が跡地を取得し公園化を進めていた所に、1923年の関東大震災が発生。
ちょうど空き地となっていたこの場所には地域の多くの方々が避難したものの、この地も大火に巻き込まれ多くの犠牲を生みました。その様な経緯から、震災後からこの地で亡くなられた多くの方を含む震災の犠牲者を慰霊・追悼する場としての公園として整備されることに(当初は『大正震災記念公園』と名付けられたとか)。
1930年(昭和5年)に建築家・伊東忠太らが設計に携わった現『東京都慰霊堂』、鐘楼、日本庭園が竣工し『横網町公園』として開園。その翌年に『東京都復興記念館』も完成。寺院の堂宇のような慰霊堂にはその後の第二次世界大戦の東京大空襲の被害者も合わせて合祀され、今日でも9月1日(関東大震災)、3月10日(東京大空襲)には慰霊大法要が行われています。(※慰霊堂内部はこの2日間のみ特別公開)
そして慰霊堂に沿う形で池泉回遊式の日本庭園があります。上から見ると日本列島の様な(三日月のような?)形をした流れ〜池泉とそれを取り囲む四季折々の樹木、いくつかの石灯籠で構成される庭園。
《震災時、清澄庭園や安田庭園など都内の庭園が、人命の保護に役立ったことを教訓として計画されたもの》だそうで、その設計には昭和の東京の著名な造園家のひとり・平山勝蔵さんも関与しました。現代には東京スカイツリーを借景としてのぞめるポイントも!
伊東忠太の近代建築と日本庭園の組み合わせ…合う・合わない、どちらに感じるかは人それぞれですが、実は山形『上杉神社』でも境内には日本庭園と伊東忠太の建築が共存していたりする。氏にとってそれは意外性のあるものではなかったのだろう…と感じられる公園。都内の散歩ポイントとしてもオススメ!
(2017年11月、2025年8月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
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