
甲府の中心部の隠れた名席。京都のお家元の出入大工“丸富工務店”西川富太郎のお茶室と、昭和の東京の代表的作庭家・岩城亘太郎(岩城造園)作庭の茶庭。
山梨中銀金融資料館 茶室「水月」について
「山梨中銀金融資料館」(やまなしちゅうぎんきんゆうしりょうかん)は山梨県甲府市に本店を置く地銀『山梨中央銀行』による企業博物館。館内には4代目頭取・名取忠彦が建立した茶室「水月」があり、その庭園を昭和の東京を代表する作庭家・岩城亘太郎(岩城造園)が手掛けています。
東京・神田に残る近代建築『山梨中央銀行 東京支店』でも知られる、山梨県唯一の地銀・山梨中央銀行。JR甲府駅から甲府城跡(舞鶴城公園)を通り過ぎて徒歩15分程の場所に位置するのが同行の「研修センター」とこの資料館。同行が創立50周年が迎えた翌年の1992年(平成4年)の開館で、山梨中央銀行の歴史のみならず、お金に関する歴史や山梨ならではの金山に関する展示、そして“近代の茶人・数寄者”としても名高い小林一三、根津嘉一郎らによる“甲州財閥”に関する展示も。
そしてこの資料館(&研修センター)のロビーからはお茶室と庭園(枯山水/露地)が眺められます。(※庭園に関して、通常はロビーから眺めるのみとなりますが、ここでは庭園内の各視点からの写真も紹介。)
「水月」と名付けられたこのお茶室、元は山梨中央銀行の4代目頭取・名取忠彦の自邸に1964年(昭和39年)に建立されたもの。「名取家」は江戸時代から甲府藩内で豪商として知られた旧家で、忠彦の義父にあたる名取忠愛も同行およびその前身の銀行(第十銀行・山梨貯蓄銀行)の頭取、そして甲府市長も務めた人物。
手掛けたのは京都の数寄屋大工「丸富工務店」西川富太郎で、京都の世界遺産寺院『高山寺』の茶室「遺香庵」をモデルとして建立。
西川富太郎さんは今回初めて名前を挙げる方なのですが、中村昌生さんの残されたテキスト「しょうりん 第24号 玉林院と私」および岩崎建築研究室さんのブログ「猪俣邸・茶室編」を参考にさせていただくと、茶道藪内流お家元の出入だった方で、近代京都の数寄屋師・笛吹嘉一郎さんの後を継いで「伝統建築学研究会」(京都伝統建築技術協会の前身?)の会長を務められた名棟梁。
そんなお茶室は名取氏の没後〜こちらの研修センター建設時に銀行の所有となり、東日本の数寄屋建築の代表格:水澤工務店によって現在地に移築・改修。ちなみにこちらのお茶室を知ったきっかけは水澤工務店さんの実績からでした。
そして庭園の作庭を手がけたのは、昭和の東京を代表する作庭家・岩城亘太郎(岩城造園)。(※年代的に、現在の庭園がそうなのか元の庭園がそうだったのかは曖昧…岩城さんは西川富太郎が共に仕事をした吉田五十八の建築にも、水澤工務店さんの茶室にもそれぞれ実績がある)。茶室を中心とした茶庭/露地なのですが、苔むした京都の様な茶庭…というよりは「出雲流庭園」の様な白砂の中に飛び石や延段の配されたスタイルというのがとても特徴的(でも延段には京都の銘石・真黒石が敷き詰められている!)。ロビーから眺めると僅かながら盆地の北側の山々が借景となっています。
また、手水鉢の傍にある灯籠は山梨県出身の昭和の政治家・金丸信に寄贈されたもので、名取忠彦は金丸を支えた人物でもありました。
通常は非公開で、主に銀行の顧客向けのお茶会などで利用されているというこちらのお茶室ですが、過去(2019年)には初心者向けの茶の湯に関する講座の舞台にもなっていたようです。地元だけど知らなかった!という方はぜひ今後チェックしてみて。
(2025年10月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
JR中央本線 甲府駅より徒歩13分
JR身延線 金手駅より徒歩8分
JR甲府駅より路線バス「中央四丁目北」バス停下車 徒歩4分
〒400-0032 山梨県甲府市中央2丁目11-12 MAP
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