紀州徳川家の藩主御殿跡に昭和の庭園研究家・森蘊が“鳥獣戯画”の世界観を表現し作庭した庭園。国指定史跡。
和歌山城二の丸庭園について
「和歌山城」(わかやまじょう)は江戸時代には大名・浅野幸長や徳川御三家・紀州徳川家が入った居城。現在の天守閣は昭和年代に再建された鉄筋コンクリート造りですが、国指定名勝の『西之丸庭園(紅葉溪庭園)』のほかにも岡口門とその土塀が国指定重要文化財、一帯が国指定史跡。
そして西之丸庭園(紅葉溪庭園)から“御橋廊下”を渡った先にある“二の丸広場”。前回訪れた時も「なんか枯山水っぽい石の置かれ方だな」と思ってたんですが――今回ちゃんと看板を読んだら、昭和の代表的庭園研究家で西之丸庭園の修復を手掛けた森蘊さんの作庭でした。
桃山時代、豊臣秀吉(羽柴秀吉)が紀州征伐の後に弟・羽柴秀長(豊臣秀長)に命じて築城された和歌山城。江戸時代、浅野家の後に入城した徳川頼宣は西の丸に御殿を建立しましたが、二の丸御殿の完成後は藩主の生活・藩政の場はそちらに移りました。
明治維新後は廃城となり和歌山市に払い下げられた和歌山城。近代には“日本の公園の父”本多静六により公園化が進められた一方で、広大な二の丸御殿は大部分はが破却、一部は『大阪城』内に移転されたそうですがそれも戦後に焼失。
森蘊が西之丸庭園の修復を手掛けたのは1970年〜1973年。この二の丸庭園を作庭したのはその少し後の1981年(昭和56年)。
自然石の石組の群れが広場の中に数カ所点在している。これは平安時代の『作庭記』や『鳥獣人物戯画』を参考に、“鳥獣戯画”の世界観を石組によって表現したもの。なるほど確かに動物のような顔・頭のある石も多い。
観光客…というよりは市民の憩いの場になっている二の丸ですが、昭和の庭園の大家の世界観もチェックしてみて。あと和歌山城は紀州の青石をふんだんに使った石垣や登城道の石張りもかっこいい!
(2016年10月、2021年5月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
JR紀勢本線 和歌山駅より徒歩20分強
南海本線 和歌山市駅より徒歩20分弱
和歌山駅より路線バス「公園前」バス停下車 徒歩2分
〒640-8146 和歌山県和歌山市一番丁 MAP