日本の歴史に欠かせない町・平戸に残る国指定文化財庭園。江戸時代後期、平戸藩主・松浦熈の別邸に作庭された庭園と、国登録有形文化財の建築。
梅ヶ谷津偕楽園について
【2024年時点では非公開?】
「梅ヶ谷津偕楽園」(うめがやつかいらくえん)は平戸藩主・松浦熈の別邸として江戸時代後期に建立された和風建築と庭園。『棲霞園』(通常非公開)とともに「棲霞園及び梅ヶ谷津偕楽園」として国指定名勝。またその建築、主屋/石垣/石塀及び石段が国登録有形文化財。
※Googleマップでは「営業中」と出ていますが、休業(閉業)との報告も。訪れる前に電話で問い合わせをお願いいたします。
キリスト教の伝来/南蛮貿易など、日本の歴史においても欠かせない港町・平戸。江戸時代に立藩された平戸藩は、本土と(ほぼ)繋がった土地として最も西部に位置する藩として、行き来する船の監視や防御の役割を担っていたとか。
そんな平戸城下町の中心部から南へ約3km。平戸瀬戸の海を目の前にのぞむ郊外に梅ヶ谷津偕楽園は位置します。
10代藩主・松浦熈の別邸として平戸の商人(庭師?)・近藤慶吉が1830年(文政13年)から1838年(天保9年)にかけて建立し献上。「偕楽園」の名はこの地に梅が多く植えられていたことが由来で、「梅ヶ谷津」は松浦熈が近藤慶吉に「梅谷」の姓を与えたことがその由来(で、慶吉は偕楽園の園主としての地位を与えられました)。
現在も掲げられている「偕楽園」の扁額は京都の公卿・花山院家厚による筆で、建物の公開時は梅谷家に伝わる古資料なども見ることができました。
平戸城のそばにあり、いわゆる日本庭園然とした『棲霞園』に対して、梅ヶ谷津偕楽園はわかりやすい「日本庭園」ではないかもしれない——それもそのはず、作庭された江戸時代後期当時の書物でも、この庭園は建築木材や苗・花木を育てるための「見本園」「試験場」としての役割を担っていたそう。確かに、一風変わった洋風の石積みなどが庭園に残されている…。
一方でその和風建築ではその風光明媚な立地を活かした茶会や蹴鞠なども行われていたとか。
天気が良い日は九十九島をのぞむこの地には、2024年現在隠れ家的ホテル『Kikka Hirado』の建築が進められています。
なお『棲霞園』は近年は5月のゴールデンウィークに限定公開されています。GWに九州旅行を計画されている方はぜひ足を伸ばしてみて。
(2014年9月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
松浦鉄道 たびら平戸口駅から約5km(駅にレンタサイクルあり)
西肥自動車バス「鞍掛」バス停より徒歩約15分(本数注意)
〒859-5122 長崎県平戸市明の川内町348 MAP